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自分と生きる 今を生きる

いつでも楽しく生きてみる。 今 ここ 自分

3年後も当たり前があるのか

まったくさぁ〜〜なのよねー

 

なんて、誰かに愚痴ってしまうことがあります。

 

文句言ってる自分

 

よろこんでる自分

 

そのどちらもが、実は「今」を楽しんでる。

 

 明日も、今と同じように、その日がやってきて

 

なんだかんだ、ありながらも、

 

 

そしてまた、次の日がくる。

 

 

 そう、疑いようもなく思っているから。

 

 

なんとなく、やり過ごせる。

 

 

とくに大きな出来事もなければ、

 

 

不満はありながらも、やっていけるから。

 

 

日々の出来事に、その時々で

 

 

感情の移り変わりを眺めながら、

 

 

あるいはどこかで、楽しみながら、

 

 

私たちは、生きています。

 

 

 

それが 「当たり前 」だから…

 

 

 

これが「 日常 」だから…

 

 

 

でも、それはいつか必ず

 

 

終わりが  くる

 

 

 

だったらあのとき、もう少し本気になってればよかった

 

 

こんなんならあのとき、本音をぶつけて

 

 

 

とことん伝えればよかった

 

 

どうなったって

 

 

 

本気で 本心で やったことの方が

 

 

納得できてたのに!

 

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やり過ごすことができるから、

 

 

私たちは見なくても済むこと、

 

 

やらなくても済むことを、

 

 

「いつか」と、先延ばしにする。

 

 

めんどくさいし、、大変だしね。

 

 

そこにエネルギー使うのも疲れちゃうからさ。

 

 

そんな言い訳をして、

 

 

そうやって、、やり過ごすときを重ねて、

 

 

本当に終わりがきたときに、

 

 

どう思う?

 

 

よかったな〜この人生、、、と

 

 

思えるのか?

 

 

本気でリアルにこのことを考えると、

 

 

ゾッとする。

 

 

やだ、、、、わたし。

 

 

それなら今のうちに

 

 

本気で向き合うよ、この人生に。

 

 

ぶつかり合うかもしれないけれど、

 

 

傷つくかもしれないけれど、

 

 

向き合うよ。

 

 

相手のことを信頼して伝えることは、

 

 

その人の心を攻撃することにはならないから。

 

 

相手を信頼するって、その懐に飛び込むようなことだ。

 

 

感情のまま

 

 

 

怒りの心で伝えてしまうと、

 

 

どうしても相手を責めてしまうけれどね。

 

 

私はこう思ってる、こう感じてる、

 

 

そのことを表現するだけなら、

 

 

実は誰も、攻撃してない。

 

 

 

それよりね

 

 

 

この「当たり前」が

 

 

3年後も同じかどうかなんて、

 

 

わからないのだもの。

 

 

終わりなんて、お知らせなしにくるのだもの。

 

 

こんなことを、大切な人を失ったりする前に、

 

 

どこかでちゃんと認識していたい。

 

 

どうにもならない現実になって、

 

 

あぁ、やっぱり〜〜しておけばよかった

 

 

 

 

〜〜と伝えておけばよかった

 

 

 

もっと本気になって、自分の中にあるもの躍動させればよかった、、、

 

 

そんな後悔は、したくないのです。

 

 

だから、向き合う。

 

 

見たくないものに、ほんとのその人の願いが

 

 

隠れてるから。

 

 

「当たり前」は  

 

 

この一瞬だけかもしれないよ。

 

 

次は、どうなってるか、わからないのだもの。

 

 

「ありがとう」

 

 

「ごめんなさい」

 

 

「愛してます」

 

 

せめてこの3っつの言葉だけは、

 

 

伝えたい人にしっかりと伝えたい。

 

 

それこそ、

 

 

当たり前のようで、当たり前がどれだけ幸せなことなのか

 

 

この3っつの言葉で、

 

 

伝えたい。 

 

 

 

 

しなくちゃ、を捨てませんか?

夫とうまくいってないのは

 

 

感謝の気持ちが足らないから。

 

 

自分の母親と仲が悪いのは

 

 

感謝の気持ちが足らないから。

 

 

なんに対しても、感謝の気持ちをもてたのなら

 

 

その人との関係はうまくいくはず。

 

 

でしょう?   と。

 

 

そう言われて、

 

 

はいそうです、と 頷けますか?

 

 

私は頷けません。

 

 

「感謝」という文字に

 

 

私たちは弱いです。

 

 

それには勝てない、なんでもそれで解決されちゃう…

 

 

感謝しなくちゃ だめでしょ

 

 

そんな思想に、縛られてはないですか?

 

 

感謝 しなくちゃ

 

 

その言葉に、、ぎゅうぎゅうに自分を苦しめてる人、

 

 

います。

 

 

でも、正直になってみて。

 

 

言いたいことを我慢して、

 

 

傷ついてる自分を放ったらかしにして

 

 

感謝 なんて  

 

 

できません。

 

 

傷ついたまま、抑えつけたまま、では

 

 

心は感謝という感情を生み出してはくれないです。

 

 

心は正直でしょう?

 

 

話しかけても返事をしてくれない夫、

 

 

まともに顔も合わせてくれない夫に、

 

 

ありがとうと、思えますか?

 

 

子どもの頃からずっと否定され続けて、

 

 

認めてもらえた、愛してもらえた、大事にしてもらえた

 

 

そんな実感のもてない母親に、

 

 

心からのありがとうが言えますか?

 

 

ありがとうを言えない私が悪いんだ

 

 

そうやって、傷ついてる心・言いたいことを我慢してきた心に

 

 

さらに我慢を強いるの?

 

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しなくちゃ、と思っているうちは

 

 

感謝なんてできない。

 

 

しなくちゃいけない、を一度捨ててしまおう

 

 

正直な 気持ちをしっかり感じとる。

 

 

生身の自分をぜんぶ見る。

 

 

ここはいいけど、あそこは見ない、なんてことせずに。

 

 

ぜんぶ見てあげよう。

 

 

あなたが見なくて、

 

 

誰が本気で見てくれるの?

 

 

手をつないでほしかったのに、

 

 

叶わなかったことが、

 

 

どれだけ寂しかったのか…

 

 

作った料理に文句しか言われないことが、

 

 

どれだけ悲しいのか、

 

 

私は悲しかったし、寂しかったし、とても傷ついたんだ

 

 

その気持ちを

 

 

残らず、ぜんぶ!のいきおいで

 

 

解放しよう。

 

 

悲しかった自分を、何も悪くないのだからと、

 

 

抱きしめる。

 

 

そうして、出来るのなら

 

 

相手に伝えてみる。

 

 

そして、その結果相手がどんな反応をしようと、

 

 

そこは、見ない。

 

 

わかってもらうことじゃなく、まずは伝えること。

 

 

わかってもらうには

 

 

いろんな難しさがあるでしょう。

 

 

素直にごめんと言えない性格だったり、

 

 

何を今更と言われたり、

 

 

めんどくさいこと持ち出すなと、相手は怒るかもしれない。

 

 

けれど、

 

 

自分の気持ちを

 

 

押し殺したまんまは、よくない。

 

 

ゆっくり  ゆっくり

 

 

ぎゅうぎゅうになってた心をゆるませて

 

 

休ませてあげよう。

 

 

ぎゅうぎゅうにしめつけていた

 

 

しなくちゃ、という呪縛を

 

 

解いてあげよう。

 

 

私はこんなに悲しかったんだし、

 

傷ついていたんだし、

 

だから怒ってるんだから!

 

 

粗末にしちゃいけないのは、

 

 

自分の心に対して、です。

 

 

しなくちゃ  と思い込まない、

 

 

すると、抑えてた心の声が

 

 

聞こえてくると、思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分を強く信じること

いいとき、悪いとき、って

 

誰にでもあります。

 

 

でも、

 

 

そのいい、悪い、は

 

 

それ、本当にそうなのかな。

 

 

今、悪いと思っていることが、

 

 

かけがえのない人生の宝になることが、

 

 

ありますね。

 

 

だとしたら、

 

 

いいとか悪いとか、決めつけない。

 

 

 

どんなときでも、目を背けることなく

 

 

見据えて、

 

 

生きていく楽しさを、感じることに集中する方が

 

 

いいような気がします。

 

 

 

生きていく楽しさは、

 

 

与えてもらうものではなくて、

 

 

自分で生み出していくものです。

 

 

そんなふうに、本気で考えたこと、

 

 

ありますか?

 

 

頑張ればもらえる

 

 

出会えたらもらえる 

 

 

運が良かったらもらえる

 

 

お行儀よく待ってたら、いつかもらえるもの、、、

 

 

 

そう、思ってなかったですか?

 

 

ぜんぜん、違いますよ。

 

 

自分本人が、生み出していくものです。

  

 

 

楽しさを生み出していく。

 

 

 

ときには安産で

 

 

ときには難産でしょう。

 

 

でも

 

 

自分が納得いったことからでしか、

 

 

生きている充足感は感じられない。

 

 

それは、与えられて感じ取れるものじゃないんです。

 

 

もらえるのを待ってても

 

 

充足感には至らないのです。

 

 

他人に頼るなというのじゃないです。

 

 

頼り頼られながら、みんな支え合って

 

 

助け合って

 

 

思いやりあいながら生きています。

 

 

でも、

 

 

報酬を求めないというか、

 

 

「これください」

 

 

というのは、ないですね。

 

 

これこれをがんばったから、あれください、

 

 

そんなこと…

 

 

もらえません、w。

 

 

自分が作り出していく、生み出していく。

 

 

その、静かな覚悟。

 

 

そこから、

 

 

本当に楽しい人生が始まるのだと思いますよ。

 

 

だからこそ

 

 

 

繰り返し、思い出します。

 

 

生きる楽しさを、誰が与えてくれるのか?

 

 

自分なのです。

 

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自分を信じよう。

 

 

そこを抜かして、

 

 

 

他人の何に、頼るのですか?

 

 

スピリチュアルな霊感も

 

占いも

 

無意味とは思いません。

 

 

でも、最後には

 

 

自分の「よし」という感覚を信じることができないと

 

 

 

ずっと、なにかに頼るばかりになってしまいますよね。

 

 

自分を 信じる

 

間違えてもいいでしょう?

 

修正すればいいのだもの。

 

自分がよしと思ったことを信じよう

 

 

 

そこを抜かして、

 

 

 

他人を信じられますか?

 

 

 

それも、実はできないでしょう。

 

 

あっちこっちが気になって、

 

 

挙句、何が正しいのかがわからなくなる。

 

 

それは、自分のことを信じてないからです。

 

 

納得のいく人生は、自分を信じることなくして

 

 

あり得ないです。

 

 

 

その答えは、誰かからのアドバイスですか?

 

 

それとも

 

 

貴方が自分で決めたことですか?

 

 

正解することだけが、目的ですか?

 

 

それとも、

 

 

生きている…実感が得たいのですか?

 

 

私は、

 

 

「おー!わたし生きてるぞー!」

 

 

そう感じていたいです。

 

 

 

私を苦しめてるのは○○でした

去年の今頃に、別のところで書いていた自分の記事を読んで、

 

なんとも言えない思いが胸にこみ上げました。

 

以下が、そうです。

 

 

《私たちはみんなが 影響し合って

支え合って 響き合って
そうしてやっと 存在している

それは 間違いない

そう 音叉の音が
ゆっくりと世界へ拡がり続けるようにね

 

さぁ そんな中で

私の立ち位置はどこだろう
いでたちはどんなだろう

 

決めるのは 知ってるのは

私だけ


書くことも

生きることも

そして 楽しむことも

みんな 私が決めたこと

 

こうして 存在していることに

すべてのものに あらゆることに
つながっていることを

ありがたいと思う》

 

 

自分のことはすべて

自分が選んでいることだけど、

 

けれど

 

 

果てしなく、、人と人は影響し合っている。

 

そのことへ、静かなあたたかい思いがあることが、

 

なんだかw 懐かしいような。

 

あの頃抱えていた不安や苦しみと、オーバーラップしながら、

 

ちょっと胸にきたのです。

 

 

 

 

苦しみを生むのはなんだろう

 

 

 

辛いとか、苦しいとか、

 

ありますね。

 

 

 

確かに

 

起こっている現実が、

 

強烈に心に苦しみを与えていることは

 

あります。

 

 

愛する人との死別や

 

 

納得のいかない離別など。

 

 

どうすればいいかの手立てがまるで思いつかない現実。

 

 

確かにそれは、苦しいです。

 

 

納得のいかないこと。

 

 

病気や出来事すべてに、

 

 

納得いくなんて、ないですよね。

 

 

そんなとき、どうしたらいいのだろう。

 

 

納得のいく、というのは

 

 

終わった後に思うことなのかな、と思います。

 

 

ひとことで言えることではないけれど、

 

 

納得というか、

 

 

それを受け止めます、の気持ちを持てないと、

 

 

 

やっぱり現実から受ける苦しみは、

 

 

 

終わらない。

 

 

 

でも、目の前で起こっていないことに

 

 

私たちは辛さや苦しみを感じていることも、

 

 

ありますね。

 

 

それは、

 

 

こうでなくちゃダメだ

 

 

認められなくちゃダメだ

 

 

上手でなきゃダメだ

 

 

明るくしてなきゃダメだ

 

 

ちゃんとしてなきゃダメだ

 

 

そんな、

 

 

一方的なダメ出しです。

 

 

現在のことに限らず、

 

 

過去のことにまでダメ出し、してることもよくあります。

 

 

ああだったから、

 

 

愛されなかったから、

 

 

受け止めてもらえなかったから、

 

 

分かり合えなかったから、

 

 

だから今の私はダメなの

 

 

 

そんなふうです。

 

 

では、問いかけます。

 

 

あなたが考えていることは、

 

 

ほんとうに、そうなのかな?

 

 

認められなきゃ!は、

 

 

誰かがそう決めたの?

 

 

ちゃんとしてなきゃ!でないと

 

 

ほんとにダメだった?

 

 

 

そう、思ってたんだよね、あなた自身が。

 

 

私は

 

 

自分を苦しめてるのは

 

 

自分だったのだと

 

 

明らかに、わかってしまいました。

 

 

〜〜でなきゃダメなんだ…と

 

 

繰り返し言い聞かせて、

 

 

ダメだよ、それじゃダメだよ、と

 

 

うるさいぐらいにダメ出しして。

 

 

私が自分に対してやっていたのは、

 

 

とても悲しい行為でした。

 

 

それは、なかなか簡単には剥がれない、

 

 

こびりついた思考。

 

 

ベリベリと

 

 

ベリベリと

 

 

剥がしていくたびに、

 

 

 

心は軽くなり、

 

 

世界は明るくなり、

 

 

生きてるのが楽しくなったのです。

 

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気づけるときには、

 

 

気づけます。

 

 

風の色に

 

 

太陽のあたたかさに

 

 

樹々のささやきに

 

 

心が反応したりね。

 

 

誰かの言葉に

 

 

あの人の笑顔に

 

 

心が震えたりね。

 

 

誰だって気がつける。

 

 

そのアンテナをもっている。

 

 

あとは、

 

 

今を受け止める、どうであろうとも。

 

 

そして、それでも自分を苦しめてる犯人を見つけちゃえばいい。

 

 

「ダメ出しやる人」ですね。

 

 

見つけたら、「もう、やめようね」とだけ話して

 

 

無罪放免です。

 

 

そこから先は

 

 

たっぷりと愛していけばいいです。

 

 

この世も自分も。

 

 

無条件に愛せたら

 

 

ほんとに、生きてるのが楽しいです。

 

 

その方が、いい。

 

 

そう思います。

 

もっと気楽に生きていこう

いまの自分がそのまんま、

 

 

いまの気分。

 

 

いまの気分がそのまんま、

 

 

いまの現実。

 

 

 

気楽に、、、という言葉がはるか遠くに感じられる?

 

 

だとしたら、どこかでダメ出ししてるはず。

 

 

 

育った環境に

 

 

親との関係に

 

 

今の仕事場に

 

 

パートナーとの関係に

 

 

子供との関わり合いに

 

 

これじゃあダメ!

 

 

こんなだったからダメ!

 

 

あぁ、これが違っていたら、

 

 

これさえなかったら、

 

 

もっと生きるのは楽なのに…

 

 

そう、思ってませんか?

 

 

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どこにダメ出し、、してるのか、

 

 

そこに、もがき苦しんでいることを

 

 

どうやって手放せばいいのか。

 

 

人って、そこに悩み続けているのかもしれない。

 

 

これじゃダメ!をやってる限り、

 

 

心の中が穏やかになることは、

 

 

ないです。

 

 

剥がしていくしか、ないです。

 

 

ダメ出ししている、自分の思考を。

 

 

ちょっとずつ、ちょっとずつ、

 

 

ベリベリと剥がしていくんです。

 

 

根気は、いるかも。

 

 

 

でも、楽しく生きていくのなら、

 

 

そこをやるしかない。

 

 

 

気楽に生きよう!と言われて、

 

 

はい、そーですね〜  とは、

 

 

いかないでしょう?

 

 

いっとき、なんだかそんな気分を味わうことができたとしても、

 

 

時間がたてば、おんなじ。

 

 

また元の、もがいてる感情に捕まってしまう。

 

 

もがいてるのなら、

 

 

ベリベリと、ダメ出ししてる自分を

 

 

剥がしていこう

 

 

 

これでいいし、

 

 

大丈夫だし、

 

 

私、いまがいちばんいいかも! 

 

 

 

いいこと、発見隊です。

 

 

見方を変えるんです。

 

 

辛い苦しかったあの時にも、

 

 

だからこそ、、、と思えるものを手にしているのだし。

 

 

今もし、大変な状況にあるとしたら、

 

 

それはまた、「なにか」を手にするとき。

 

 

なにか、って、「 学び」です。

 

 

その人の「生きていく智慧」です。

 

 

胸張って、宣言していいんです。

 

 

わたし、よくやった!

 

 

いつも、よくやってる!

 

 

こんなことにも気づけたし、あんなこともわかったし。

 

 

なんか、わたしって、素敵じゃない?

 

 

気持ちが楽になると、

 

 

なにがいいかって、

 

 

その人らしさが輝き始めること。

 

 

その人が自分の命を大切に思えること。

 

 

今 ここ  にしあわせを感じられること。

 

 

その、「今 ここ」の連続が

 

 

生きてる時間だし、

 

 

人生なんだものね。

 

 

もっと気楽に、生きていこう

 

 

ダメ出しは、そろそろ止めよう

 

 

自分らしく、心地よく

 

 

生きていこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

決めつけないよ、おしまいにしないよ

あ〜またやっちゃった…

 

 

と、似たような失敗をした時に、

 

 

よし、次また気をつけよう、と思う人と

 

 

だから私ってダメなんだよね、、、と

 

 

自己卑下しちゃう人、

 

 

いますよね。

 

 

次また気をつけよう!と考える人は、

 

 

どこに気をつけたらいいのか、

 

 

ちゃんとポイントを押さえているけど、

 

 

自己卑下しちゃう人は、

 

 

失敗の原因を自分の性格かなんかのせいにして、

 

 

実は、どうしたらいいのかを

 

 

あまり考えてない。

 

 

 

自分がダメだから、こうなった

 

 

そんなふうに捉えているままでは、

 

 

なにかを変えようとする力は、

 

 

なかなか湧いてこないです。

 

 

どうせ〜〜だから

 

 

と、そこに原因を決めつけてませんか?

 

 

それでおしまいにしていませんか?

 

 

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それだといつまでたっても

 

 

やっぱり同じことの繰り返し。

 

 

その心地よくないスパイラルを

 

 

嫌だなと、思うのなら

 

 

どうしたらいいのか

 

 

具体的なことを1つでも、

 

 

見つけると、いいね。

 

 

連絡すればよかった

 

 

確認すればよかった

 

 

ひとこと声かければよかった

 

 

謝ればよかった

 

 

伝えればよかった

 

 

ちょっと考えてみればよかった

 

 

 

私たちが繰り返してる後悔は、

 

 

そんなことの中に潜んでいる。

 

 

性格のせいや、環境のせい、

 

 

あるいは誰かのせいで、、こうなった、、、

 

 

なんてのは

 

 

人生の主導権を手放しちゃってるようなもんです。

 

 

どうしたらいいかは、

 

 

目の前にあるのだもの。

 

 

 

だって、自分の性格がなんたらかんたら、、、

 

 

だって今の状況ではこうだし、、、

 

 

だってあの人がこんなであんなで、、、

 

 

 

そう思うのなら、

 

 

なにを変えればいいの?

 

 

できることってなんだろう。

 

 

そもそも、ほんとに変えたい変わりたいと

 

 

願っているのかな。

 

 

だとしたら

 

 

変えるのは具体的なことです。

 

 

考え方、(どう捉えていくか)

 

 

話し方、(どんな言葉をつかうのか)

 

 

行動の仕方、(なにをして、なにをしないのか)

 

 

これだけ。

 

 

 

このうちどれかについて、あるいはぜんぶについて。

 

 

自分がいま実際にどうしているのか見つめてみると、

 

 

その通りの現実の中にいませんか?

 

 

なんだ

 

 

やってる通り、言ってる通り、思ってる通りじゃないか。

 

 

不安だって思うから、不安なんだし、

 

 

嫌われてるって思うから、そうだと決めつけて避けてるし、

 

 

きっとわかってくれないって思うから、

 

 

ほんとにわかってもらうためのことは、何もしてない、

 

 

なーんだ、その通りだ!

 

 

繰り返し、頭の中によぎること、

 

 

 

いつも考えていることが、あるかと思います。

 

 

でもね、ひょっとして

 

 

そのことについて、本気で答えを出そうとしていないのでは?

 

 

本気で変えようとしていないのでは?

 

 

だってね

 

変えていくのはすっごく怖いし、

 

とっても大変なんだもん

 

 

 

そうなんですよね。

 

ほんとは変えたいのではなく

 

 

どこかで変わりたくないとも

 

 

思っていたのかも、なんですね。

 

 

決めつけてしまって、そこでおしまいにしていると、

 

 

自分の本音にすら

 

 

たどり着けません。

 

 

おしまいにしちゃわないよう、

 

 

そうなのかな?どうなのかな?

 

 

そんな問いかけをいつも自分にしていきたい。

 

 

 

 

 

何も怖くなくなるとき

ずっと不安だったり、

 

 

なかなか現実が思い通りにいかないと感じていたら、

 

 

それは、

 

 

自分が怖れているものが、

 

 

なにかが、あるからです。

 

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お金がなくなったら…

 

 

上手くいかなかったら…

 

 

気に入ってもらえなかったら…

 

 

嫌われたら…

 

 

結果が出せなかったら…

 

 

ほんとうに、ほんっとに!

 

 

私たちは動く前から考えてしまう。

 

 

ありとあらゆる、よくないことを。

 

 

動く前に、です。

 

 

完璧にやりたいと思う人、

 

 

自己評価が低い人ほど、

 

 

考えすぎて、不安にがんじがらめになって、、、

 

 

そして、動けない。

 

 

ついでに、動けてない自分を責める。

 

 

嫌ですね、そんな自分が。

 

 

 

そのスパイラル、どうしたら抜け出せるのか?

 

 

すべての準備が整うとか、すべての不安がなくなるなんてことは、

 

 

無いのだと、知ることです。

 

 

そうしたら、動けます。

 

 

不安を拭うのも、嫌なスパイラルから抜け出すのも、

 

 

答えはおんなじ。

 

 

 

動くことです。

 

 

 

すべてを綺麗に、上手に、最短で、

 

 

しかも効率よく、

 

 

なんて、あり得ない。

 

 

おまけにズバ抜けて上手にやろうなんて、

 

 

できると思いますか?

 

 

もし仮に、はじめはできたとしても、

 

 

それをやり続けられますか?

 

 

もう、怖いですよね。

 

 

怖い、のが招く結果には、ふたつのタイプあると思います。

 

 

怖いから見ない、やらない、

 

 

それは、結果を受け止める覚悟ができてないから。

 

 

怖いけど見る、やる、

 

 

結果もちゃんと受け止めよう、そしてそこからまた、考えればいい、と思えるから。

 

 

怖くなくなるのは、

 

 

不安な要素がなくなるからではなくて、

 

 

どうであっても、自分が選んだ結果、

 

 

動いた結果は、そのまま受け止める、

 

 

と思えたときです。

 

 

よくない結果だったとしたら、

 

 

やり方を工夫するとか、

 

 

考え方を変えるとか、

 

 

なにかまた、仕切り直せばいいのだもの。

 

 

なんだって、

 

 

最初から完璧に綺麗になんて、

 

 

いくわけないのだから!

 

 

そう思えていたら、

 

 

ちょっと違ったな、と思っても

 

 

また、やり直せます。

 

 

怖くなくなるのは、

 

 

結果によって自分の評価が左右されるわけではない、

 

 

と、腹の底で知ることからです。

 

 

私が考えて、私が選んで、

 

 

そしてやったのだから、

 

 

それで結果はすべて受け止めるし、

 

 

それでよし。

 

 

だからと言って、

 

 

誰の評価も判断も、要らないのです。

 

 

楽しく生きるのは、

 

 

自分自身なのだもの。

 

 

そう思えたら、

 

 

なにも怖くないです。

 

 

楽しく生きるのは、

 

 

なにもラッキーなことや、オシャレなことがあるからじゃなくて、

 

 

自分が選びながら生きている、という

 

 

ささやかな誇りみたいなもんですよね。

 

 

朝になにを食べるとか、

 

 

着ていく服も、

 

 

どんなことを話すのかも。

 

 

選んでいるんです。

 

 

誰かに会ったり喋ったりするときに、

 

 

まわりの評価を気にしてではなく、

 

 

素直な自分を表現することを選び続ける。

 

 

自分で選んだことを生きていくのだから、

 

 

怖くなんかないです。

 

 

 

怖いのは、

 

 

未来を見ようとしすぎてるせいかもしれません。

 

 

今いるところから、どれだけ具体的に見ようとしても、

 

 

今と未来をつなげられる証拠がないと、

 

 

やっぱり不安になるだけ。

 

 

証拠をどれだけ集めても、

 

 

安心までは、至らないでしょう…

 

 

いちばん安心な証拠は、

 

 

自分がやりたいように、なりたいように、

 

 

この一瞬、一瞬を

 

 

選んでいくだけです。