自分と生きる 今を生きる

いつでも楽しく生きてみる。 心がよろこぶことしよう。

浮かび上がるまでは、ぐるぐるをやる

悩んでることとか、いつも頭の中で考え続けていることは、

 

 

おんなじこと、だったりします。

 

 

それが、まるで、

 

 

その人の人生のベースであるかのように

 

 

繰り返し、おんなじことに

 

 

頭も心も、占領されている。

 

 

どうすればそこから、浮かび上がれるのか?

 

 

だってもう、悩み続けているのはいやなんだものね。

 

 

早く解決して、楽な気分になりたいのだもの。

 

 

でも

 

 

 

見えてくるまでは、浮かび上がれません。

 

 

おんなじことをやり続けている自分のことが

 

 

見えてくるまで。

 

 

おんなじことが続いているのは、

 

 

抱えている悩みを

 

 

正当化したいからだと思います。

 

 

私がこのことで苦しんでいるのは、

 

 

正しいのだ、

 

 

間違ってないのだ、

 

 

私は悪くないのだ、

 

 

私じゃない、なにかが悪いのだから。

 

 

そのことを証明するため

 

 

考え続けている。

 

 

そうやってぐるぐると、おんなじ思考を繰り返しているのですよね。

 

 

 

自分が変化することなしに

 

 

解決することなんて、ないです。

 

 

なにが変われば、救われますか?

 

 

仕事   お金  人間関係  健康

 

 

 

これらのことだって

 

 

 

自分の心や考え方、

 

 

そして、やってることを変化させずに、

 

 

抱えている苦しみを手放そうなんて

 

 

無理です。

 

 

正当化するためのぐるぐるを、

 

 

 

飽きるほどやって、

 

 

ぜんぜんまわりが変わらないことにようやく気がつけて、

 

 

あぁ、もういい加減にしよう、

 

 

ここから自分で変化を起こそう、

 

 

まわりがどうであれ、私が変わらなければ

 

 

おんなじぐるぐるをやるんじゃないの?

 

 

自分がこうだから

 

 

私のここがこうだから

 

 

おんなじことをやってるんじゃないか!

 

 

 

そう思えたときが、

 

 

見えた、、、ときです。

 

 

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見えるとね、変われます。

 

 

な〜〜んだ、そういうことね!

 

 

そんなふうに、肚に落ちます。

 

 

ぐるぐるをやっていたのが、

 

 

 

ふっと

 

 

 

軽くなるのです。

 

 

手放したから、思い込みを。

 

 

浮かび上がり出すと

 

 

気持ちはどんどん軽くなるし、

 

 

楽しくなるし。

 

 

やめられなくなります。

 

 

悩んでるのがすき、なんていう人もいますが、

 

 

それは、

 

 

 

やっぱり自分をかわいそうにしたくないからだと

 

 

今の私は思います。

 

 

かつての自分が、そうだったからね!

 

 

 

「 私は悪くないの 」

 

 

そこを納得させたがっていたんだと

 

 

頑固な自分を思い出します。

 

 

浮かび上がれるのか?

 

 

飽きるほど、いやんなるほど

 

 

ぐるぐるをやって

 

 

そして、見えれば、

 

 

浮かび上がれるのです。

 

 

 

 

 

 

 

自分を生きるってわからないです

まじめに生きてきたし、

 

 

ずるいことはしてこなかったし、

 

 

がんばってやってきた。

 

 

いつだって一生懸命だった。

 

 

それなのにどうして

 

 

こんなに心がつらいのだろう。

 

 

ワクワクしようとか、自分を生きるとか、

 

 

よくわからない…

 

 

そう、、、嘆いている人が、

 

 

います。

 

 

まわりの明るさに、、、キラキラに、、、

 

 

ついていけなくて苦しんでる人。

 

 

そういう人を、他人事とは思えない。

 

 

ついこないだまで、私も似たようなものだったのだから。

 

 

ワクワクも

 

 

楽しいも

 

 

わからないのは、体験してこなかったから、です。

 

 

だってね、

 

 

体験することを選ばなくなるぐらい

 

 

 

まわりの意見をきくことに

 

 

一生懸命だったのでしょう?

 

 

がんばってきたのは、自分を満たすことではなく、

 

 

まわりを満たすことではなかったですか?

 

 

そりゃあ  わからなくなります。

 

 

自分を生きる、なんてね。

 

 

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そして、、そうやって生きてきて、

 

 

どうなんだろう。

 

 

誰からもだいじにしてもらってない…

 

 

いつもなんだか、我慢してきた気がする…

 

 

それは自分が、自分の気持ちを無視してきたのだもの。

 

 

「私の気持ちなんて放っておいて、

 

 

まわりのためにやらなくちゃ」

 

 

その結果が、今です。

 

 

まわりがあなたをだいじにしてないと思うのは、

 

 

本人が自分を粗末にしてきたから。

 

 

そんな 粗末にされるような存在なのだからと

 

 

自分でそんなふうに行動してきたから。

 

 

 

もう  それはやめよう

 

 

誰よりも自分の意見を聞いて

 

 

何よりも自分の気持ちを考えて

 

 

そして

 

 

心地よさを、取り戻そう。

 

 

心地よさって、自分らしさです。

 

 

クレヨンの中からどの色を選ぶのか

 

 

子供のころ素直に選んでいたでしょう?

 

 

いつから、まわりの思惑を気にするようになったんだろう。

 

 

 

レストランでメニューを選ぶときも、

 

 

みんなと飲んでる時にどんな話をするのかも、

 

 

自分の心に素直になるのじゃなくて、

 

 

まわりの人の気持ちばかり、気にして、、、

 

 

それじゃあいつまでたっても

 

 

本音でつきあえる友達だって、できやしない。

 

 

自分の気持ちがわからなくなってるのなら、

 

 

まわりのことを気にするのを、

 

 

まずはやめることです。

 

 

どこを見てるの?

 

 

自分を見よう

 

 

自分のことがしっかり見えてきたら、

 

 

楽しくなることがわかってくるし、

 

 

するとやる気も元気も出てくる。

 

 

似合う服だってわかるようになるし、

 

 

どんなことが得意なのかもはっきりしてくる。

 

 

生きるのって、楽しいんだ!

 

 

そんな気持ちを思い出せます。

 

 

 

そうしているうちに、自分らしさが

 

 

戻ってくるから。

 

 

 

自分らしくあれば、心地よく生きていられます。

 

 

それが、自分を生きるということ、

 

 

そう思います。

 

 

嘘をついてはいけない

 

 

騙してはいけない

 

 

抑えつけてはいけない

 

 

 

それは、自分に対して、です。

 

 

マナーやルールを破って構わないというのじゃない。

 

 

まずは、自分を見ようよ

 

 

そういうことです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今という時を未来や過去のために使うのはやめよう

過去や未来への思いに、

 

 

私たちは「今」という大事なときを

 

 

奪われてしまってることが、多いです。

 

 

あのときの悔しさを、いつも思い出してしまう…

 

 

こうなったらどうしようって、いつも不安になってしまう…

 

 

1日のうち、どれぐらい過去や未来に思いを巡らせているか、

 

 

自分のことを考えると、、、どうですか?

 

 

あのとき、とても悔しかった…

 

 

言いたいことをちゃんと言えなかっったった…

 

 

そのときに飲み込んだ悔しさと言葉が

 

 

今まさに、頭と心の中で

 

 

ブスブスと音を立てている。

 

 

このままじゃあきっとこうなる…

 

 

あの人はきっとこう思ってるに違いない…

 

 

この子がああなったら困る…

 

 

そんな、今目の前にないことに、

 

 

未来をこうなると決めつけて、

 

 

どれだけ想像を巡らせていることか。

 

 

 

人生ですよ、今この瞬間も。

 

 

もったいなくは、ないですか?

 

 

過去や未来に、今を奪われているとき、

 

 

自分のことは疎かになってます。

 

 

今この瞬間、しあわせに生きることに、

 

 

ちっとも思いが、ない。

 

 

もっと今に集中しませんか?

 

 

もっと自分にわがままさせてあげませんか?

 

 

わがまま、、という表現の方が

 

 

おそらくわかりやすい。

 

 

私たちはいつだって、他人にどう思われるか?に気が持っていかれて、

 

 

自分はどう感じているのか?

 

 

そこが、疎か。

 

 

自分で自分を満たしてあげられなくて、

 

 

他人のために何かできるのか?

 

 

できないです。

 

 

やってるつもりが、

 

 

自分を認めてもらうことに躍起になってるのだけ。

 

 

 

人のためになにかやらないと、

 

 

大人とは言えませんか?

 

 

他人のためと言いながら、

 

 

その他人に必死になって

 

 

「認めて!ほめて!」

 

 

そう、求めてしまってる。

 

 

他人からの承認は

 

 

いくらあったって、足らなくなって、

 

 

もっと認めて!もっとほめて!

 

 

延々と続いてしまいます。

 

 

もう、終わりにしよう。

 

 

今 この瞬間

 

 

 

本気で自分をしあわせにしよう

 

 

 

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花は 明日きれいに咲こうとは、

 

 

思ってないです。

 

 

今 できることを できるだけ やる。

 

 

明日枯れたら困るとも、思ってないです。

 

 

今このとき だけ その繰り返し。

 

 

私はたくさんの時間を

 

 

過去への思いに使いました。

 

 

親とのことも、そうです。

 

 

未来への不安に、潰されそうになっていた時期もあります。

 

 

でも、ぜんぶ

 

 

今の私がしあわせであるためには

 

 

いらないことでした。

 

 

過去や未来や

 

 

他人がどう思うかに、気を持っていかれると、

 

 

自分がなにをして楽しいのか、

 

 

わからなくなっちゃうのですよ。

 

 

今の自分を生きてないと、

 

 

本心がなんなのか

 

 

わからなくなっちゃうのですよ。

 

 

取り戻すのは、時間がかかります。

 

 

今  この瞬間

 

 

自分のしあわせに、本気になる。

 

 

その繰り返しで

 

 

素直に生きられるようになります。

 

 

素直な人は

 

 

他人の心も素直にさせます。

 

 

今 私は 自分に素直に生きているか?

 

 

素直であれば、そう怒ることもないです。

 

 

自分に素直であれば、他人にやさしくできるし、

 

 

自分が我慢しているから、

 

 

他人のすることに注文つけたくて、

 

 

怒ったりするのでしょう?

 

 

どうしてそうなの?! なんて。

 

 

今という時を  今の自分のしあわせのために

 

 

生きよう。

 

 

まずはそこから、です。

 

 

 

 

 

3年後も当たり前があるのか

まったくさぁ〜〜なのよねー

 

なんて、誰かに愚痴ってしまうことがあります。

 

文句言ってる自分

 

よろこんでる自分

 

そのどちらもが、実は「今」を楽しんでる。

 

 明日も、今と同じように、その日がやってきて

 

なんだかんだ、ありながらも、

 

 

そしてまた、次の日がくる。

 

 

 そう、疑いようもなく思っているから。

 

 

なんとなく、やり過ごせる。

 

 

とくに大きな出来事もなければ、

 

 

不満はありながらも、やっていけるから。

 

 

日々の出来事に、その時々で

 

 

感情の移り変わりを眺めながら、

 

 

あるいはどこかで、楽しみながら、

 

 

私たちは、生きています。

 

 

 

それが 「当たり前 」だから…

 

 

 

これが「 日常 」だから…

 

 

 

でも、それはいつか必ず

 

 

終わりが  くる

 

 

 

だったらあのとき、もう少し本気になってればよかった

 

 

こんなんならあのとき、本音をぶつけて

 

 

 

とことん伝えればよかった

 

 

どうなったって

 

 

 

本気で 本心で やったことの方が

 

 

納得できてたのに!

 

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やり過ごすことができるから、

 

 

私たちは見なくても済むこと、

 

 

やらなくても済むことを、

 

 

「いつか」と、先延ばしにする。

 

 

めんどくさいし、、大変だしね。

 

 

そこにエネルギー使うのも疲れちゃうからさ。

 

 

そんな言い訳をして、

 

 

そうやって、、やり過ごすときを重ねて、

 

 

本当に終わりがきたときに、

 

 

どう思う?

 

 

よかったな〜この人生、、、と

 

 

思えるのか?

 

 

本気でリアルにこのことを考えると、

 

 

ゾッとする。

 

 

やだ、、、、わたし。

 

 

それなら今のうちに

 

 

本気で向き合うよ、この人生に。

 

 

ぶつかり合うかもしれないけれど、

 

 

傷つくかもしれないけれど、

 

 

向き合うよ。

 

 

相手のことを信頼して伝えることは、

 

 

その人の心を攻撃することにはならないから。

 

 

相手を信頼するって、その懐に飛び込むようなことだ。

 

 

感情のまま

 

 

 

怒りの心で伝えてしまうと、

 

 

どうしても相手を責めてしまうけれどね。

 

 

私はこう思ってる、こう感じてる、

 

 

そのことを表現するだけなら、

 

 

実は誰も、攻撃してない。

 

 

 

それよりね

 

 

 

この「当たり前」が

 

 

3年後も同じかどうかなんて、

 

 

わからないのだもの。

 

 

終わりなんて、お知らせなしにくるのだもの。

 

 

こんなことを、大切な人を失ったりする前に、

 

 

どこかでちゃんと認識していたい。

 

 

どうにもならない現実になって、

 

 

あぁ、やっぱり〜〜しておけばよかった

 

 

 

 

〜〜と伝えておけばよかった

 

 

 

もっと本気になって、自分の中にあるもの躍動させればよかった、、、

 

 

そんな後悔は、したくないのです。

 

 

だから、向き合う。

 

 

見たくないものに、ほんとのその人の願いが

 

 

隠れてるから。

 

 

「当たり前」は  

 

 

この一瞬だけかもしれないよ。

 

 

次は、どうなってるか、わからないのだもの。

 

 

「ありがとう」

 

 

「ごめんなさい」

 

 

「愛してます」

 

 

せめてこの3っつの言葉だけは、

 

 

伝えたい人にしっかりと伝えたい。

 

 

それこそ、

 

 

当たり前のようで、当たり前がどれだけ幸せなことなのか

 

 

この3っつの言葉で、

 

 

伝えたい。 

 

 

 

 

しなくちゃ、を捨てませんか?

夫とうまくいってないのは

 

 

感謝の気持ちが足らないから。

 

 

自分の母親と仲が悪いのは

 

 

感謝の気持ちが足らないから。

 

 

なんに対しても、感謝の気持ちをもてたのなら

 

 

その人との関係はうまくいくはず。

 

 

でしょう?   と。

 

 

そう言われて、

 

 

はいそうです、と 頷けますか?

 

 

私は頷けません。

 

 

「感謝」という文字に

 

 

私たちは弱いです。

 

 

それには勝てない、なんでもそれで解決されちゃう…

 

 

感謝しなくちゃ だめでしょ

 

 

そんな思想に、縛られてはないですか?

 

 

感謝 しなくちゃ

 

 

その言葉に、、ぎゅうぎゅうに自分を苦しめてる人、

 

 

います。

 

 

でも、正直になってみて。

 

 

言いたいことを我慢して、

 

 

傷ついてる自分を放ったらかしにして

 

 

感謝 なんて  

 

 

できません。

 

 

傷ついたまま、抑えつけたまま、では

 

 

心は感謝という感情を生み出してはくれないです。

 

 

心は正直でしょう?

 

 

話しかけても返事をしてくれない夫、

 

 

まともに顔も合わせてくれない夫に、

 

 

ありがとうと、思えますか?

 

 

子どもの頃からずっと否定され続けて、

 

 

認めてもらえた、愛してもらえた、大事にしてもらえた

 

 

そんな実感のもてない母親に、

 

 

心からのありがとうが言えますか?

 

 

ありがとうを言えない私が悪いんだ

 

 

そうやって、傷ついてる心・言いたいことを我慢してきた心に

 

 

さらに我慢を強いるの?

 

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しなくちゃ、と思っているうちは

 

 

感謝なんてできない。

 

 

しなくちゃいけない、を一度捨ててしまおう

 

 

正直な 気持ちをしっかり感じとる。

 

 

生身の自分をぜんぶ見る。

 

 

ここはいいけど、あそこは見ない、なんてことせずに。

 

 

ぜんぶ見てあげよう。

 

 

あなたが見なくて、

 

 

誰が本気で見てくれるの?

 

 

手をつないでほしかったのに、

 

 

叶わなかったことが、

 

 

どれだけ寂しかったのか…

 

 

作った料理に文句しか言われないことが、

 

 

どれだけ悲しいのか、

 

 

私は悲しかったし、寂しかったし、とても傷ついたんだ

 

 

その気持ちを

 

 

残らず、ぜんぶ!のいきおいで

 

 

解放しよう。

 

 

悲しかった自分を、何も悪くないのだからと、

 

 

抱きしめる。

 

 

そうして、出来るのなら

 

 

相手に伝えてみる。

 

 

そして、その結果相手がどんな反応をしようと、

 

 

そこは、見ない。

 

 

わかってもらうことじゃなく、まずは伝えること。

 

 

わかってもらうには

 

 

いろんな難しさがあるでしょう。

 

 

素直にごめんと言えない性格だったり、

 

 

何を今更と言われたり、

 

 

めんどくさいこと持ち出すなと、相手は怒るかもしれない。

 

 

けれど、

 

 

自分の気持ちを

 

 

押し殺したまんまは、よくない。

 

 

ゆっくり  ゆっくり

 

 

ぎゅうぎゅうになってた心をゆるませて

 

 

休ませてあげよう。

 

 

ぎゅうぎゅうにしめつけていた

 

 

しなくちゃ、という呪縛を

 

 

解いてあげよう。

 

 

私はこんなに悲しかったんだし、

 

傷ついていたんだし、

 

だから怒ってるんだから!

 

 

粗末にしちゃいけないのは、

 

 

自分の心に対して、です。

 

 

しなくちゃ  と思い込まない、

 

 

すると、抑えてた心の声が

 

 

聞こえてくると、思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分を強く信じること

いいとき、悪いとき、って

 

誰にでもあります。

 

 

でも、

 

 

そのいい、悪い、は

 

 

それ、本当にそうなのかな。

 

 

今、悪いと思っていることが、

 

 

かけがえのない人生の宝になることが、

 

 

ありますね。

 

 

だとしたら、

 

 

いいとか悪いとか、決めつけない。

 

 

 

どんなときでも、目を背けることなく

 

 

見据えて、

 

 

生きていく楽しさを、感じることに集中する方が

 

 

いいような気がします。

 

 

 

生きていく楽しさは、

 

 

与えてもらうものではなくて、

 

 

自分で生み出していくものです。

 

 

そんなふうに、本気で考えたこと、

 

 

ありますか?

 

 

頑張ればもらえる

 

 

出会えたらもらえる 

 

 

運が良かったらもらえる

 

 

お行儀よく待ってたら、いつかもらえるもの、、、

 

 

 

そう、思ってなかったですか?

 

 

ぜんぜん、違いますよ。

 

 

自分本人が、生み出していくものです。

  

 

 

楽しさを生み出していく。

 

 

 

ときには安産で

 

 

ときには難産でしょう。

 

 

でも

 

 

自分が納得いったことからでしか、

 

 

生きている充足感は感じられない。

 

 

それは、与えられて感じ取れるものじゃないんです。

 

 

もらえるのを待ってても

 

 

充足感には至らないのです。

 

 

他人に頼るなというのじゃないです。

 

 

頼り頼られながら、みんな支え合って

 

 

助け合って

 

 

思いやりあいながら生きています。

 

 

でも、

 

 

報酬を求めないというか、

 

 

「これください」

 

 

というのは、ないですね。

 

 

これこれをがんばったから、あれください、

 

 

そんなこと…

 

 

もらえません、w。

 

 

自分が作り出していく、生み出していく。

 

 

その、静かな覚悟。

 

 

そこから、

 

 

本当に楽しい人生が始まるのだと思いますよ。

 

 

だからこそ

 

 

 

繰り返し、思い出します。

 

 

生きる楽しさを、誰が与えてくれるのか?

 

 

自分なのです。

 

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自分を信じよう。

 

 

そこを抜かして、

 

 

 

他人の何に、頼るのですか?

 

 

スピリチュアルな霊感も

 

占いも

 

無意味とは思いません。

 

 

でも、最後には

 

 

自分の「よし」という感覚を信じることができないと

 

 

 

ずっと、なにかに頼るばかりになってしまいますよね。

 

 

自分を 信じる

 

間違えてもいいでしょう?

 

修正すればいいのだもの。

 

自分がよしと思ったことを信じよう

 

 

 

そこを抜かして、

 

 

 

他人を信じられますか?

 

 

 

それも、実はできないでしょう。

 

 

あっちこっちが気になって、

 

 

挙句、何が正しいのかがわからなくなる。

 

 

それは、自分のことを信じてないからです。

 

 

納得のいく人生は、自分を信じることなくして

 

 

あり得ないです。

 

 

 

その答えは、誰かからのアドバイスですか?

 

 

それとも

 

 

貴方が自分で決めたことですか?

 

 

正解することだけが、目的ですか?

 

 

それとも、

 

 

生きている…実感が得たいのですか?

 

 

私は、

 

 

「おー!わたし生きてるぞー!」

 

 

そう感じていたいです。

 

 

 

私を苦しめてるのは○○でした

去年の今頃に、別のところで書いていた自分の記事を読んで、

 

なんとも言えない思いが胸にこみ上げました。

 

以下が、そうです。

 

 

《私たちはみんなが 影響し合って

支え合って 響き合って
そうしてやっと 存在している

それは 間違いない

そう 音叉の音が
ゆっくりと世界へ拡がり続けるようにね

 

さぁ そんな中で

私の立ち位置はどこだろう
いでたちはどんなだろう

 

決めるのは 知ってるのは

私だけ


書くことも

生きることも

そして 楽しむことも

みんな 私が決めたこと

 

こうして 存在していることに

すべてのものに あらゆることに
つながっていることを

ありがたいと思う》

 

 

自分のことはすべて

自分が選んでいることだけど、

 

けれど

 

 

果てしなく、、人と人は影響し合っている。

 

そのことへ、静かなあたたかい思いがあることが、

 

なんだかw 懐かしいような。

 

あの頃抱えていた不安や苦しみと、オーバーラップしながら、

 

ちょっと胸にきたのです。

 

 

 

 

苦しみを生むのはなんだろう

 

 

 

辛いとか、苦しいとか、

 

ありますね。

 

 

 

確かに

 

起こっている現実が、

 

強烈に心に苦しみを与えていることは

 

あります。

 

 

愛する人との死別や

 

 

納得のいかない離別など。

 

 

どうすればいいかの手立てがまるで思いつかない現実。

 

 

確かにそれは、苦しいです。

 

 

納得のいかないこと。

 

 

病気や出来事すべてに、

 

 

納得いくなんて、ないですよね。

 

 

そんなとき、どうしたらいいのだろう。

 

 

納得のいく、というのは

 

 

終わった後に思うことなのかな、と思います。

 

 

ひとことで言えることではないけれど、

 

 

納得というか、

 

 

それを受け止めます、の気持ちを持てないと、

 

 

 

やっぱり現実から受ける苦しみは、

 

 

 

終わらない。

 

 

 

でも、目の前で起こっていないことに

 

 

私たちは辛さや苦しみを感じていることも、

 

 

ありますね。

 

 

それは、

 

 

こうでなくちゃダメだ

 

 

認められなくちゃダメだ

 

 

上手でなきゃダメだ

 

 

明るくしてなきゃダメだ

 

 

ちゃんとしてなきゃダメだ

 

 

そんな、

 

 

一方的なダメ出しです。

 

 

現在のことに限らず、

 

 

過去のことにまでダメ出し、してることもよくあります。

 

 

ああだったから、

 

 

愛されなかったから、

 

 

受け止めてもらえなかったから、

 

 

分かり合えなかったから、

 

 

だから今の私はダメなの

 

 

 

そんなふうです。

 

 

では、問いかけます。

 

 

あなたが考えていることは、

 

 

ほんとうに、そうなのかな?

 

 

認められなきゃ!は、

 

 

誰かがそう決めたの?

 

 

ちゃんとしてなきゃ!でないと

 

 

ほんとにダメだった?

 

 

 

そう、思ってたんだよね、あなた自身が。

 

 

私は

 

 

自分を苦しめてるのは

 

 

自分だったのだと

 

 

明らかに、わかってしまいました。

 

 

〜〜でなきゃダメなんだ…と

 

 

繰り返し言い聞かせて、

 

 

ダメだよ、それじゃダメだよ、と

 

 

うるさいぐらいにダメ出しして。

 

 

私が自分に対してやっていたのは、

 

 

とても悲しい行為でした。

 

 

それは、なかなか簡単には剥がれない、

 

 

こびりついた思考。

 

 

ベリベリと

 

 

ベリベリと

 

 

剥がしていくたびに、

 

 

 

心は軽くなり、

 

 

世界は明るくなり、

 

 

生きてるのが楽しくなったのです。

 

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気づけるときには、

 

 

気づけます。

 

 

風の色に

 

 

太陽のあたたかさに

 

 

樹々のささやきに

 

 

心が反応したりね。

 

 

誰かの言葉に

 

 

あの人の笑顔に

 

 

心が震えたりね。

 

 

誰だって気がつける。

 

 

そのアンテナをもっている。

 

 

あとは、

 

 

今を受け止める、どうであろうとも。

 

 

そして、それでも自分を苦しめてる犯人を見つけちゃえばいい。

 

 

「ダメ出しやる人」ですね。

 

 

見つけたら、「もう、やめようね」とだけ話して

 

 

無罪放免です。

 

 

そこから先は

 

 

たっぷりと愛していけばいいです。

 

 

この世も自分も。

 

 

無条件に愛せたら

 

 

ほんとに、生きてるのが楽しいです。

 

 

その方が、いい。

 

 

そう思います。