自分と生きる 今を生きる

いつでも楽しく生きてみる。 今 ここ 自分

なんのために?

穏やかな心でいられることは、

 

何にもまして、しあわせなことです。

 

なぜ自分がそうなれたのか、

 

なぜ以前はそうではなかったのか。

 

喉から手が出るほど欲しいと願っていた

 

この穏やかさ。

 

ここまでくるのに、いったい何十年かかったんだろう。

 

そしてこれでゴールというわけではなく、

 

大変なことが起こらないというわけでもなく、

 

変わらない日々…けれども昔とは違う私で、

 

またコツコツと、生きていくのですね。

 

ビフォーアフターをちゃんとみることは、

 

この先のなにがしかのヒントになるでしょう。

 

 

 

今はっきりと言えるのは、

 

人はなんのために生きるのか?という

 

はじめの一歩のような問いかけに、

 

明確に、確信を持ってこたえられらように、なったこと。

 

 

 

自分をしあわせにするために

 

このシンプルな目的のために

 

私たちは生きているのだと思います。

 

だからこそ、学びと言われることを

 

繰り返していく。

 

自分という人間を

 

どんな思い込みが作り上げているのかを

 

目を逸らさずみていく。

 

私たちが学んでいるのは

 

愛し方  ですね。

 

愛してほしい、認めてほしい、受け止めてほしい、

 

そんな気持ちにがんじがらめになって、

 

満たされなくてもがいているのは、

 

自分が 自分を

 

愛してない、認めてない、受け止めてない。

 

それだけです。

 

ここを、嫌になるほど思い知って、

 

私はそれらを他人に求めることを

 

やめました。

 

たとえ、どんな最悪な環境であっても、

 

 

それが理由で人生を決められることは

 

 

ありません。

 

 

そんなことはない、あんなふしあわせな家庭に育ったのだから

 

私がこうなってるのは仕方がないのだ

 

 

そう、考える人は少なくないかもしれませんね。

 

 

そんな一面もあります。

 

 

でも、一面だけですよ。

 

 

それをすべての理由には

 

 

できないし、ならないです。

 

 

それを理由にして、なんとかしてくれと叫んでいるのは、

 

 

本人なのだから。

 

 

満たされないまま育ったことは、

 

 

それ以上でもないし、それ以下でもない、

 

 

そうだった、ということです。

 

 

そこまで俯瞰できると、

 

 

傷を抱きしめてしがみついてたのが、

 

 

自分だったことが見えます。

 

 

ふしあわせになるための絶対的な条件も

 

 

しあわせになるための条件も

 

 

万人共通にはないですよね。

 

 

ただひとつ、だけです。

 

 

自分を愛すること

 

 

大地に水と栄養を与えるように、

 

 

豊かになるものを与えていくだけ。

 

 

それが、自分への愛だと思います。

 

 

自分の大地を豊かにしますか?

 

 

それとも貧弱で乾き切ったまま、

 

 

誰かがなんとかしてくれると思い込んだままでいますか?

 

 

人は、自分をしあわせにするために、

 

生きています

 

その過程でまわりの人や社会に、愛が届けられていく。

 

人のため、社会のためが先ではないですね。

 

耕せるのは自分の大地だけであり、他人のではありませんから。

 

自分の大地に

 

自分という樹を育てて、

 

その果実が誰かをしあわせな気持ちにすることは

 

あるでしょう。

 

どんな樹を育てるのか

 

そのためには大地を豊かにして

 

どんな種を蒔くのか

 

向き合うのは自分の人生、

 

そこにしっかり、取り組んで生きたいです。

 

 

 

 

 

 

 

立ち止まる・感じてみる・力を抜く

次から次へと、やらなくてはならないことをこなすだけになっていると、

 

 

その後で、ものすごく消耗している自分に気がつきます。

 

 

やっているときは、何も考えていないので、

 

 

最中は疲れてるなんて思いもしないのですが、

 

 

後から、気がつきます。

 

 

これは、自分のエネルギーがダダ漏れしているからですね。

 

 

それは、疲れます。

 

 

なぜ、それをしているの?

 

 

そこを飛ばしたまんま、ただやるだけだと、

 

 

いったい私は何のために生きているんだろう…

 

 

そんな空虚感におそわれたりします。

 

 

立ち止まる

 

 

いったんそれをストップさせてみる。

 

 

なにをやってるの?と、見てみる。

 

 

それには勇気がいることも、あるかもしれない。

 

 そして、

 

 

感じてみる

 

 

心地よく疲れているのか、消耗しているのか、またやりたいと思うのか、、、

 

よくよく、見ます。

 

 

感じようとしても、最初はなんにもわからないかもしれない。

 

 

それは、緊張がとけていないからです。

 

 

緊張したまんまだと、

 

 

自分が痛い思いをしていることにすら、気がつけなかったりします。

 

 

だから、力を抜こう

 

 

ゆるめて、あげる。

 

 

深呼吸して、安心させてあげて、

 

 

自分にそっと問いかけます。

 

 

なんのために、それをしているの?

 

 

そこから、なにを得たいの?

 

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よろこびなのか、それともお金なのか。

 

 

正直に心に問いかけてみる。

 

 

たとえば、、部屋の片付けなら

 

 

さっぱりとした爽やかな空間を手にして、

 

 

自分の心をすっきりとさせたい、

 

 

かもしれないし、

 

 

料理なら、美味しさを味わいたいとか、

 

 

一緒に食べる誰かとの、安らぎの時をもちたいとか、

 

 

そんなふうに、得たいものは、あると思います。

 

 

そこをわかっていると、

 

 

なんのために今、自分のエネルギーを注いでいるかに、

 

 

ちゃんと納得がいってます。

 

 

そうじゃなくて、やるだけ、こなすだけに追われていると、

 

 

そこからなにも得ていない、

 

 

なんにも、生み出していないのですね。

 

 

これだけ時間とエネルギーを注いでいるのに、

 

 

徒労感しか残らないのは、

 

 

そこでしょう。

 

 

子育てしていると、わかります。

 

 

得たいのは、子供の笑顔、だけだったりします。

 

 

疲れて睡眠不足で、目の下にクマができていても

 

子供の誕生日にがんばってお料理したりする、

 

 

それは純粋に、子供の笑顔を見る事で

 

 

自分のよろこびを得たいからですね。

 

 

もっと言うと、子供がよろこばなくても、

 

 

そのことをすることが目的なのだから、

 

 

やったことが、私のよろこびに、なります。

 

なんのために、それをしているのか

 

 

まいにち、疲れて

 

やることに追われて、

 

いったい私の人生なんだろう…という思いがよぎったら

 

立ち止まって

 

感じてみてください。

 

自分をゆるめて、

 

素直に見つめてみることです。

 

すべてに完璧なこたえを求めると、

 

人間は息苦しくなりますが、

 

心がなにを感じているのか?

 

なにを感じたいと思っているのか?

 

そこをしっかりわかると、

 

エネルギーをダダ漏れさせることは、

 

 

なくなると思います。

 

 

 

「私はこのままでいいのか?」という不安

なにかをやらなくちゃいけない

 

なにかを成し遂げなくちゃいけない

 

漠然とそう思っている人が、いますね。

 

そんなとき、人がどういう行動に出るか?

 

不思議と

 

なにかしなくっちゃ、と、もがいてるまんまで、行動している人は、

 

まわりにもそれが伝わってしまう。

 

 

なにか…  の「 なにか 」について、

 

 

当の本人が、わかってないまんま

 

 

行動しているから。

 

 

このままでいい、と思えていない理由を、

 

 

ちゃんと見ていないから。

 

 

だから、やみくもに、

 

 

なにかしなくちゃという気持ちだけで

 

 

動いてしまっている。

 

 

なぜ、このままではいけないのですか?

 

 

「誰々はこんなことをして、あんなこともして、

 

 なんだか、すごくって、、、、

 

 私もそうならなくちゃ、と感じてしまう」

 

 

「まわりは積極的で、どんどん外に出ていって、

 

 お金にも人にも、めぐまれているから、、、、

 

私もそうなりたいと、思ってしまう」

 

 

これらのことは、全部

 

 

他人の世界の話しですね。

 

 

自分の世界ではない。

 

 

主語が、違います。

 

 

そこに生きている人は、他人です。

 

 

なにかが足らないからダメだ、なんとかしなくちゃ

 

 

そう思って行動しているうちは

 

 

きっと足らない気持ちのまんま、

 

 

ずっと走り続けることになる。

 

 

それじゃあいつか、、疲れ果ててしまうし、

 

 

いつまでたっても、穏やかな気持ちには

 

 

なれません。

 

 

その人がその人らしく生きるのが、

 

 

心を、穏やかにして生きていくのに

 

 

欠かせないことだと思います。

 

 

穏やかな心を、

 

 

手にしたい、ですね。

 

 

どうすれば、いいでしょう。

 

 

 

  他人を見ないで、自分を見てあげる。

 

 

 

このままでいいと、思えていないのは、

 

 

 

自分が今の自分を、認めていないからではないですか?

 

 

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 認めてくれない相手のことを

 

 

やっぱり好きにはなれないものです。

 

 

ということは、

 

 

自分のことを、好きではないのです、心のどこかで。

 

 

 

自分を好きになれないまんま、

 

 

なにか行動ばかりしたところで、

 

 

満たされることはないですね。

 

 

なにを、求めていますか?

 

 

なにかしなくちゃ、というのは

 

 

誰かに、その他の人たちに、

 

 

認められたいからではないですか?

 

 

なにかを成し遂げなくちゃ、というのは、

 

 

まわりの人から、、すごい人だ、と

 

 

ほめてもらいたいからではないですか?

 

 

そうやってる自分のことを

 

 

あなたは自分で愛せてますか?

 

 

この世界は正直で、

 

 

自分の心、そのまんまが、映し出されているのですね。

 

 

認めてないから、認められない。

 

 

愛してないから、愛されない。

 

 

足らないと思うから、ずっと足らない。

 

 

ものすごく、シンプルです。

 

 

私はこのままでいい、、、そう思うと、

 

 

ずっと、このままで、しあわせです。

 

 

それは、開き直りでも、投げやりな諦めでもなく、

 

 

素直に

 

 

自分のことを好きだ、と思える気持ちです。

 

 

そうすると、

 

 

心はとても、穏やかになれます。

 

 

静かな、あたたかな、しあわせですね。

 

                 

 

「自分と生きる 今を生きる」

なりつか なおみ

 

 

 

 

未来を描くことよりも

「大きくなったらなんになりたい?」

 

そんな質問が子供の頃から苦手でした。

 

これはかなり昔、幼稚園のころからなんです。

 

幼稚園の先生にそうたずねられ、

 

みんなが口々に パイロット! お花屋さん! パン屋さん!なんて答えている中で、

 

私は…  とても困った気持ちになったのを覚えています。

 

そんなこと聞かれてもわからない、

 

今わかってることなんて、ほんの少しなんだもの、、、

 

これは、成長してからもあまり変わりませんでした。

 

なにかの仕事につくことを、夢と呼ぶのだろうか?

 

そんな素朴な疑問です。

 

今、こうして生きている自分を幸せな気持ちにするにはどうしたらいいか?で精いっぱいで、

 

未来のことを描くのは、

 

しかもどんな仕事をしているのかを決めるなんて、

 

ちょっと難しい気がしていたのです。

 

この思いを、私はだいぶ引きずっていました。

 

中学の時の作文の課題に、

 

「夢」というのが与えられたときも、

 

書けずに困り果てたのでした。

 

私はいつも、なにかの仕事についてる自分を夢見たことがなく、

 

思い描くのは、「しあわせ」を感じながら生きている自分の姿でした。

 

その「しあわせ」ってなんだろう…

 

このことについて、

 

もう中学生のときには、真面目に考えていたので、

 

そのときの私の答えを、当時の日記に書きつけています。

 

あるとき偶然見返して、

 

なるほどなと、思ったのでした。

 

そこには、自分の全存在・全能力を活かしてやるべきことは、

 

家庭を築いていくことだと、

 

書いていたのです。

 

お金を儲けることや、

 

何がしかの役目を背負って社会に貢献することは、

 

その次に為すべきことで、

 

人間として生まれて、

 

なによりも大切なのは、

 

家庭を築いて、次の世代を生きる人間を育てることだと、、、、、

 

中学のときの私は、結論づけていました。

 

仕事を選ぶことは、このときに放棄しています。

 

いくら考えても、それについては結論に達しなかったのです。

 

そういうものは、巡り巡って、目の前にくるものなのだから、

 

それを受けとるだけだと、

 

そのように思っていました。

 

けれど、実際に大学を卒業するときには、

 

そうはいきませんね。

 

どんなことをして社会に貢献できるのか?

 

何をもってこの会社の役に立てるのか?

 

どんな能力があり、

 

どんな適性があり、

 

どんな個性を活かそうとしているのか、などが、

 

とにかく、問われるのですね。

 

当然といえば当然ですが、

 

まだ社会経験のない学生が、どこまで自己認知できているのか?

 

ひょっとして人事担当の方は、そんなことは百も承知で、

 

それでもちゃんと自己ピーアールのできる人材を求めていたのでしょうか?

 

職業を決められない自分は、何か落ちこぼれてしまってるようで、

 

どこかでしょんぼりとしながら、

 

でも、結局のところ、答えは、出せなかったです。

 

私は働くことは好きです。

 

直接何かの、誰かの役に立てていることを実感できるからです。

 

アルバイトしていたときも、

 

就職して働いていたときも、

 

手を抜くとか、力を出し惜しみするとかはなくて、

 

夢中で、働いていました。

 

定時があるから、それまでやりくりして、のんびり…なんてことは、

 

とても、できないタイプです。

 

今もそれは、変わらないです。

 

だからこそどんなところでも、、任されることが増え、

 

ありがたい責務を、、いただいてきました。

 

でも、今でも相変わらず

 

「どうなりたい?」と聞かれると

 

やはり困ってしまいます。

 

「しあわせでありたいです」と、答えます。

 

仕事では、明確に答えられない。

 

探したときもあるし、いやむしろ、懸命に探して、

 

これだと思ったこともありましたが、

 

なにかの違和感は拭えなかった…

 

なぜこうなんだろう、と自分に歯がゆい思いもしましたが、

 

どうにもなりません、実際がこうなのですから。

 

でも世の中には、

 

この仕事で生きていきます!と、答えられる人も多勢いて、

 

そんな人たちが精進しながら夢を叶えていく姿を見ると、

 

素敵だなと、正直思います。

 

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今の私は、少し意見が変わりました。

 

未来を描くときに、

 

仕事 = こうなりたい姿、何をやってるか、を描く人もいれば

 

状態 = こうありたい姿、どんな気持ちか、を描く人もいるのだと思います。

 

私がこの、、こうありたい、を、描く人。

 

どんな状態なのか?、をきちんと描くことが、私にとってはそもそも大切なことだったんです。

 

自分が、、どんな状態ならしあわせなのか?

 

では、そうなるためには、どうしたらいいのか?

 

なりたい姿がわかってる人は、この「、どうしたらいいのか」が、

 

 

先に答えとして見えている部分なんですね。

 

どちらの入り口からであっても、

 

思い描けたのなら、そこからどうすればいいか?が

 

わかってきます。

 

どうするのかは、さまざま…

 

それがひょっとすると、絵を描くことかもしれないし、

 

刺繍をすることかもしれないし、

 

山登りをすることなのかもしれない。

 

誰かの洋服を作ることかもしれないし、

 

マーケティングを考えることかもしれない。

 

だから私は未来を描くことよりも、

 

今の自分をどう充実させていくか、を考えています。

 

指針がないといえばないし、

 

自由といえばそうだし、

 

でも、

 

ほんとうに好きなことや得意なこと、

 

心が惹かれてしまうもの、

 

気がつくと夢中になってることって、

 

やっぱり、それらが私の特性ですね。

 

こうなりたいを描く人、

 

こう在りたい姿を描く人、

 

私の場合、後者です。

 

手段は、後から。

 

どちらのやり方を辿っても、

 

誰かのために、何かのために、

 

自分を役立てたいという思いは、

 

同じであると思います。

 

なんだかんだいって、今仕事をしていますが、

 

やらなくちゃいけないからやる、、だけではないです。

 

そこに私らしさとか、

 

何かの得意なことを織り交ぜながら、

 

仕事の時間も私の人生の時間として、

 

大切にしています。

 

嫌だから我慢の時間!なんて簡単に結論付けてしまわずに、

 

そこでどう、私を活かしていくのか?

 

知恵を働かせるのです。

 

ほんとうにダメなら、役に立てるところ、役に立ちたいところを探すまで、ですね。

 

未来を描けなかった私ですが、

 

それでも仕事をしていて、

 

お金をいただいてます。

 

自分の能力を使って、時間を費やして、

 

何かの、誰かの、役にたてているのです。

 

今このときを楽しく生きるのに、

 

こうすればうまくいくんだよ、というのは、ないですね。

 

私の長男が「やりたいことがわからない」と、言ってきたとき、

 

そりゃそうよ、どんな仕事があるのかもわからないのだから、と応じた私は、

 

頼りない親かもしれませんが、

 

未来を描けなかったからこそ、

 

考えて悩んで、

 

今を充実させてこられたのだと、

 

思っています。

 

 

 

 

 

 

 

見てきた景色に自信をもつ

どれだけ辛かった時があっても

 

 

どれだけ暗かった時があっても

 

 

今、こうして生きている自分に

 

 

もっと堂々と、自信をもったらいい。

 

 

今なお辛くて

 

 

今も暗くて

 

 

こんな自分はやっぱりダメだなんて、

 

 

いつまでも否定したまんま、

 

 

他人の承認を待つのですか?

 

 

誰かが承認してくれたら、

 

 

辛かった過去も、、暗い今も、

 

 

終わりがくるのですか?

 

 

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いろんなことがあったとして、

 

 

それでも今生きてることを

 

 

すごい!よくやってる!

 

 

そんなふうに心から言えるのは、

 

 

自分です。

 

 

そう言って欲しい相手がいたとしても、

 

 

たとえ言ってくれたとしても、

 

 

自分がそう思えてないうちは、

 

 

きっと何度でも、問いたくなる。

 

 

「こんな私でいいのかな」

 

 

本人がいちばん自分を粗末に扱ってることに、

 

 

気がつかないと、

 

 

どれだけたくさんの人から承認を得ても、

 

 

満足しない。

 

 

あなたが

 

 

生きてきて、

 

 

そうして見てきた景色は、

 

 

他所のなにかとくらべる必要なんてない、

 

 

なにかを達成したとかも関係ない、

 

 

ただ、生きてきた、それだけで

 

 

 

すごいことなのだから。

 

 

そして、自分ひとりで生きてきたわけではないことに、

 

 

思いを馳せられるようになれたら、

 

 

心は

 

 

穏やかになれる。

 

 

誰かに与えてもらうものが、自信ではないよ。

 

 

自分が自分を信じることなのだもの。

 

 

これまで見てきた景色に、

 

 

そこで生きてきた自分に、

 

 

もっと、自信をもとう。

 

 

間違ってた? なら、この先やり直そう。

 

 

なにを間違ってたのか、

 

 

他人の評価を得るためにやることなんて、

 

 

あなたをほんとに満たすことはないのだから。

 

 

心の底から満たされたいなら、

 

 

自分によくよく、問いかけた方がいい。

 

 

「どうありたいの?どうしたいの?」

 

 

あなたを否定し続けているのは、

 

 

いったい誰なのか?

 

 

やることなすことに、いつも口を出してきて、

 

 

いいとか、悪いとか、ためになるとか、何か得られるとか、

 

 

そんなことばっかり、言ってる人。

 

 

欲しいものが得られるんじゃない。

 

 

見合ったものがいただけるだけ。

 

 

自信のなさを、得られるもので埋めようとする行為は、

 

 

やっぱり、終わりがないのだもの。

 

 

愛を得たいと思うのなら、

 

 

自分が自分を愛そう。

 

 

足らない、を埋めようとしても、

 

 

他人や物では

 

 

埋まらない。

 

 

いっとき満たされた感があったとしても、

 

 

すぐにまた、足らない…と、なる。

 

 

足らない足らない、といい続けていると、

 

 

まわりは寄り付かなくなってくる。

 

 

吸い取られるのは嫌だからね。

 

 

自分の根っこに

 

 

ほんとに栄養をあげられるのは、

 

 

親でも、パートナーでも、

 

 

ないよ。

 

 

自分だよ。

 

 

そこができて、ようやく、

 

 

まわりを愛せる人間になれる。

 

 

だから、

 

 

これまでどんなことがあったとしても、

 

 

見てきた景色に

 

 

自信をもとう。

 

 

愛そう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

浮かび上がるまでは、ぐるぐるをやる

悩んでることとか、いつも頭の中で考え続けていることは、

 

 

おんなじこと、だったりします。

 

 

それが、まるで、

 

 

その人の人生のベースであるかのように

 

 

繰り返し、おんなじことに

 

 

頭も心も、占領されている。

 

 

どうすればそこから、浮かび上がれるのか?

 

 

だってもう、悩み続けているのはいやなんだものね。

 

 

早く解決して、楽な気分になりたいのだもの。

 

 

でも

 

 

 

見えてくるまでは、浮かび上がれません。

 

 

おんなじことをやり続けている自分のことが

 

 

見えてくるまで。

 

 

おんなじことが続いているのは、

 

 

抱えている悩みを

 

 

正当化したいからだと思います。

 

 

私がこのことで苦しんでいるのは、

 

 

正しいのだ、

 

 

間違ってないのだ、

 

 

私は悪くないのだ、

 

 

私じゃない、なにかが悪いのだから。

 

 

そのことを証明するため

 

 

考え続けている。

 

 

そうやってぐるぐると、おんなじ思考を繰り返しているのですよね。

 

 

 

自分が変化することなしに

 

 

解決することなんて、ないです。

 

 

なにが変われば、救われますか?

 

 

仕事   お金  人間関係  健康

 

 

 

これらのことだって

 

 

 

自分の心や考え方、

 

 

そして、やってることを変化させずに、

 

 

抱えている苦しみを手放そうなんて

 

 

無理です。

 

 

正当化するためのぐるぐるを、

 

 

 

飽きるほどやって、

 

 

ぜんぜんまわりが変わらないことにようやく気がつけて、

 

 

あぁ、もういい加減にしよう、

 

 

ここから自分で変化を起こそう、

 

 

まわりがどうであれ、私が変わらなければ

 

 

おんなじぐるぐるをやるんじゃないの?

 

 

自分がこうだから

 

 

私のここがこうだから

 

 

おんなじことをやってるんじゃないか!

 

 

 

そう思えたときが、

 

 

見えた、、、ときです。

 

 

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見えるとね、変われます。

 

 

な〜〜んだ、そういうことね!

 

 

そんなふうに、肚に落ちます。

 

 

ぐるぐるをやっていたのが、

 

 

 

ふっと

 

 

 

軽くなるのです。

 

 

手放したから、思い込みを。

 

 

浮かび上がり出すと

 

 

気持ちはどんどん軽くなるし、

 

 

楽しくなるし。

 

 

やめられなくなります。

 

 

悩んでるのがすき、なんていう人もいますが、

 

 

それは、

 

 

 

やっぱり自分をかわいそうにしたくないからだと

 

 

今の私は思います。

 

 

かつての自分が、そうだったからね!

 

 

 

「 私は悪くないの 」

 

 

そこを納得させたがっていたんだと

 

 

頑固な自分を思い出します。

 

 

浮かび上がれるのか?

 

 

飽きるほど、いやんなるほど

 

 

ぐるぐるをやって

 

 

そして、見えれば、

 

 

浮かび上がれるのです。

 

 

 

 

 

 

 

自分を生きるってわからないです

まじめに生きてきたし、

 

 

ずるいことはしてこなかったし、

 

 

がんばってやってきた。

 

 

いつだって一生懸命だった。

 

 

それなのにどうして

 

 

こんなに心がつらいのだろう。

 

 

ワクワクしようとか、自分を生きるとか、

 

 

よくわからない…

 

 

そう、、、嘆いている人が、

 

 

います。

 

 

まわりの明るさに、、、キラキラに、、、

 

 

ついていけなくて苦しんでる人。

 

 

そういう人を、他人事とは思えない。

 

 

ついこないだまで、私も似たようなものだったのだから。

 

 

ワクワクも

 

 

楽しいも

 

 

わからないのは、体験してこなかったから、です。

 

 

だってね、

 

 

体験することを選ばなくなるぐらい

 

 

 

まわりの意見をきくことに

 

 

一生懸命だったのでしょう?

 

 

がんばってきたのは、自分を満たすことではなく、

 

 

まわりを満たすことではなかったですか?

 

 

そりゃあ  わからなくなります。

 

 

自分を生きる、なんてね。

 

 

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そして、、そうやって生きてきて、

 

 

どうなんだろう。

 

 

誰からもだいじにしてもらってない…

 

 

いつもなんだか、我慢してきた気がする…

 

 

それは自分が、自分の気持ちを無視してきたのだもの。

 

 

「私の気持ちなんて放っておいて、

 

 

まわりのためにやらなくちゃ」

 

 

その結果が、今です。

 

 

まわりがあなたをだいじにしてないと思うのは、

 

 

本人が自分を粗末にしてきたから。

 

 

そんな 粗末にされるような存在なのだからと

 

 

自分でそんなふうに行動してきたから。

 

 

 

もう  それはやめよう

 

 

誰よりも自分の意見を聞いて

 

 

何よりも自分の気持ちを考えて

 

 

そして

 

 

心地よさを、取り戻そう。

 

 

心地よさって、自分らしさです。

 

 

クレヨンの中からどの色を選ぶのか

 

 

子供のころ素直に選んでいたでしょう?

 

 

いつから、まわりの思惑を気にするようになったんだろう。

 

 

 

レストランでメニューを選ぶときも、

 

 

みんなと飲んでる時にどんな話をするのかも、

 

 

自分の心に素直になるのじゃなくて、

 

 

まわりの人の気持ちばかり、気にして、、、

 

 

それじゃあいつまでたっても

 

 

本音でつきあえる友達だって、できやしない。

 

 

自分の気持ちがわからなくなってるのなら、

 

 

まわりのことを気にするのを、

 

 

まずはやめることです。

 

 

どこを見てるの?

 

 

自分を見よう

 

 

自分のことがしっかり見えてきたら、

 

 

楽しくなることがわかってくるし、

 

 

するとやる気も元気も出てくる。

 

 

似合う服だってわかるようになるし、

 

 

どんなことが得意なのかもはっきりしてくる。

 

 

生きるのって、楽しいんだ!

 

 

そんな気持ちを思い出せます。

 

 

 

そうしているうちに、自分らしさが

 

 

戻ってくるから。

 

 

 

自分らしくあれば、心地よく生きていられます。

 

 

それが、自分を生きるということ、

 

 

そう思います。

 

 

嘘をついてはいけない

 

 

騙してはいけない

 

 

抑えつけてはいけない

 

 

 

それは、自分に対して、です。

 

 

マナーやルールを破って構わないというのじゃない。

 

 

まずは、自分を見ようよ

 

 

そういうことです。