自分と生きる 今を生きる

いつでも楽しく生きてみる。 心がよろこぶことしよう。

15年前のあの娘にあいたい

3人の子供

 

ということが、どれだけ私の喜びか…

 

1人でも2人でも、同じように、喜びだと思う。

 

子供がいない人が不幸というのではなくて

 

私がたまたま、子供がいる家庭を望んでいて

 

そして

 

3人の子供の、母になれた

 

そんな素朴な喜びだ。

 

私は、ずっと「家庭」にこだわって生きてきたから…

 

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「家庭」という環境が、その人の心にどれだけ影響を与えるのか、を、思うと

 

私は

 

母親としての自分を

 

ものすごくだいじに思っていた。

 

お金がなくても、地位なんてなくても、

 

その、家庭の中で、

 

自分が愛され、承認され、大切にされ、

 

それだけで、いい。

 

自分が愛され、承認され、大切にされている、

 

その、実感が何よりのもの。

 

でないと、生きていく人格の根っこが違うから。

 

私は本気で

 

そう思う。

 

今日は、3人目の子供であり、長女である娘の

 

誕生日。

 

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愛おしい…

 

それだけ。

 

この子がお腹に宿ってからずっと、私は彼女に話しかけ続けていた。

 

ママは、あなたが、大好きだよ…

 

なぜかはわからないけど、女の子という確信があった。

 

その娘は今、母と2人の生活の中で

 

最大限に

 

自分を表現しているように

 

私からは見える。

 

私たち母子の結びつきは、どうしたって強い。

 

いろんなことを、

 

ふたりで、

 

過ごしてきたんだから。

 

彼女は、いろんな話を私にする。

 

共感を求めて…

 

わたしも娘に、素直に問いかける。

 

「これって、どうかな?」

 

「こんなだけど、どう思う?」

 

すべてをさらけ出してるとは思わないけれど

 

彼女の心の、支えとか、重しとか、

 

なんか、

 

そんなものになれていたらいいな。

 

15年前のあの娘は

 

ぴかぴかに輝いて、

 

私の中から生まれてきた。

 

感動以外の、なにものでもなかった。

 

うれしくてうれしくて、

 

それだけだった…。

 

生まれてきたんだから、楽しんで生きていってね!

 

私から娘に伝えたいことは、、これ。

 

 

 

 

 

 

それでいいんだろうか

関わり合いの中で

 

その人に強いストレスを感じさせるものだから

 

大声を出したり、怒ったり、

 

そんな拒否反応をするんだという、

 

とても、シンプルなことなのに。

 

「精神科のお医者様が病気と言ってるのだから、そうでしょう」

 

というなんて

 

なんの疑問も、違和感も

 

感じないのだろうか…

 

その人は、現場の責任者でありながら

 

だいじなことに

 

自分の判断をするという役目や、人の心に対する配慮が

 

なさ過ぎる感じがした…

 

それでいいんだろうか

 

メリークリスマス ですね

クリスマスイブの夜

 

誰と一緒にいますか?

 

誰と一緒にいたいですか?

 

1人でいても、、、どんなことを思い浮かべていますか?

 

とにかく

 

自分が幸せでいる映像をイメージしよう

 

どんなふうなら  幸せなのか?

 

そこを、わかっているかどうか

 

だって…

 

誰があなたを幸せにするの?

 

外の世界は、あなたのオーダー通りに動きはしないから

 

そして

 

自分の幸せは、自分がいちばん知っている…はず

 

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ぶれないってすごいですか?

ぶれない自分のためには…とか

 

ぶれない心の鍛え方…とか

 

本屋に行くと、たくさんのタイトルが並んで

 

「これさえ読めば、理想の自分を手に入れられるよ!」

 

そう、、、、話しかけてくるようです、、、。

 

ぶれない、という表現は

 

日々の様々な出来事や、嫌なことでも大変なことでも、感情が揺さぶられることがない、、、など

 

そんな、頑丈な?お人柄をイメージしてしまいますね。

 

誰かの言葉に傷ついたり、失敗したことに、しょっちゅう落ち込んだりする私なんかは、

 

ちっとも「ぶれない」自分なんかではありません。

 

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「ぶれない」

 

ちょっと素敵に、思えてしまいますが、

 

周りの影響を受けないために

 

壁を作る、のではないと思います。

 

頑なであることは、他人との対話を拒絶し、

 

そして自らが成長することを阻むことになりかねません。

 

ぶれない、ことは

 

頑なであることではなく、

 

翻弄されて、着地点が見えなくなることのないように

 

しっかりと自分の視点は持とうね、、、という意味合いが強いのではと思っています。

 

視点を持つために、、

 

自分がどんな人間であるかを

 

知っておかないと、、、と思うのです。

 

なにが好きで

 

なにが得意で

 

なにが嫌いで

 

なにが不得意か

 

これまでの経験や社会からどう見られるかに、囚われていないか?

 

ぶれないためには、

 

頑なでいるのじゃなくて

 

自分のことを見失わず、ゆるやかである、

 

そこなんでしょうね…

 

だとしたら

 

ぶれたり、迷ったりを繰り返しながら、

 

私たちは自分という存在を、手に入れていくのかな?

 

そんなことを、思いました。

 

 

 

 

 

 

 

自分の立ち位置

もっと もっと、、と願う自分がいる。

 

もっとできる、もっとやれる.

 

だから、それを遮るものに対しては、戦うモードで応戦している。

 

やれば、できる、、、、と、自分に対しての自信。

 

ここまで結果も出してきた。

 

だからこそ、もっとやれるし、やりたい、、、

 

そう願う自分がいる。

 

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何のために?

 

誰のために?

 

それをやりたいのは、どうしてなんだろう…

 

自己顕示欲、優越感、自己主張、競争、出世争い、

 

そんなもの? 違うよね

 

自分の心と向き合って

 

繰り返し、検証する。

 

私は、何のために?誰のために?なにが心を掻き立てるのか…

 

立ち位置とは、居場所とも言える。

 

そこを確立するために

 

頑張っている、気もする。

 

私にとって、心地よい居場所って、どんなものだろう

 

家庭においても、職場においても

 

そこを知るために、自己対話はつづく。

 

「私はこうありたい」

 

そう願う立ち位置なのかどうか…

 

チャレンジし続けるしかない

生きているのはひとりじゃない

ときおり 感じてしまう

 

深い孤独感。

 

その理由はおそらく、自分の気持ちをわかってもらえていない、という、

 

ある意味思い込み。

 

いや、わからないものだって、、、他人の気持ちなんて。

 

あの人は、こう感じているだろう…

 

こんな考えなんだろう…

 

そのうちの、どれだけが的を射ているのか、、、。

 

だからこそ、相手のことを決めつけないことだ。

 

そして、わかってもらえないことに、不満をもたないことだ。

 

すぐに相手を責めてしまうのは…?

 

そこに正しさを求めるのはどうだろう。

 

どんな場面であっても

 

自分の考え、捉え方は間違っていない!なんて、

 

そんな誤解をしないこと。

 

「私は孤独だ」というものだって

 

思い込みだったりする。

 

どこまで他人に求めるのか?そこの成熟度を振り返る必要は

 

あると思う。

 

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ひとりで生きているわけではない。

 

関わりあう人たちの中で、どれだけ生き生きとしていくかは

 

本人の持つ力に負うものも大きいと思う。