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自分と生きる 今を生きる

いつでも楽しく生きてみる。 今 ここ 自分

未来を描くことよりも

「大きくなったらなんになりたい?」

 

そんな質問が子供の頃から苦手でした。

 

これはかなり昔、幼稚園のころからなんです。

 

幼稚園の先生にそうたずねられ、

 

みんなが口々に パイロット! お花屋さん! パン屋さん!なんて答えている中で、

 

私は…  とても困った気持ちになったのを覚えています。

 

そんなこと聞かれてもわからない、

 

今わかってることなんて、ほんの少しなんだもの、、、

 

これは、成長してからもあまり変わりませんでした。

 

なにかの仕事につくことを、夢と呼ぶのだろうか?

 

そんな素朴な疑問です。

 

今、こうして生きている自分を幸せな気持ちにするにはどうしたらいいか?で精いっぱいで、

 

未来のことを描くのは、

 

しかもどんな仕事をしているのかを決めるなんて、

 

ちょっと難しい気がしていたのです。

 

この思いを、私はだいぶ引きずっていました。

 

中学の時の作文の課題に、

 

「夢」というのが与えられたときも、

 

書けずに困り果てたのでした。

 

私はいつも、なにかの仕事についてる自分を夢見たことがなく、

 

思い描くのは、「しあわせ」を感じながら生きている自分の姿でした。

 

その「しあわせ」ってなんだろう…

 

このことについて、

 

もう中学生のときには、真面目に考えていたので、

 

そのときの私の答えを、当時の日記に書きつけています。

 

あるとき偶然見返して、

 

なるほどなと、思ったのでした。

 

そこには、自分の全存在・全能力を活かしてやるべきことは、

 

家庭を築いていくことだと、

 

書いていたのです。

 

お金を儲けることや、

 

何がしかの役目を背負って社会に貢献することは、

 

その次に為すべきことで、

 

人間として生まれて、

 

なによりも大切なのは、

 

家庭を築いて、次の世代を生きる人間を育てることだと、、、、、

 

中学のときの私は、結論づけていました。

 

仕事を選ぶことは、このときに放棄しています。

 

いくら考えても、それについては結論に達しなかったのです。

 

そういうものは、巡り巡って、目の前にくるものなのだから、

 

それを受けとるだけだと、

 

そのように思っていました。

 

けれど、実際に大学を卒業するときには、

 

そうはいきませんね。

 

どんなことをして社会に貢献できるのか?

 

何をもってこの会社の役に立てるのか?

 

どんな能力があり、

 

どんな適性があり、

 

どんな個性を活かそうとしているのか、などが、

 

とにかく、問われるのですね。

 

当然といえば当然ですが、

 

まだ社会経験のない学生が、どこまで自己認知できているのか?

 

ひょっとして人事担当の方は、そんなことは百も承知で、

 

それでもちゃんと自己ピーアールのできる人材を求めていたのでしょうか?

 

職業を決められない自分は、何か落ちこぼれてしまってるようで、

 

どこかでしょんぼりとしながら、

 

でも、結局のところ、答えは、出せなかったです。

 

私は働くことは好きです。

 

直接何かの、誰かの役に立てていることを実感できるからです。

 

アルバイトしていたときも、

 

就職して働いていたときも、

 

手を抜くとか、力を出し惜しみするとかはなくて、

 

夢中で、働いていました。

 

定時があるから、それまでやりくりして、のんびり…なんてことは、

 

とても、できないタイプです。

 

今もそれは、変わらないです。

 

だからこそどんなところでも、、任されることが増え、

 

ありがたい責務を、、いただいてきました。

 

でも、今でも相変わらず

 

「どうなりたい?」と聞かれると

 

やはり困ってしまいます。

 

「しあわせでありたいです」と、答えます。

 

仕事では、明確に答えられない。

 

探したときもあるし、いやむしろ、懸命に探して、

 

これだと思ったこともありましたが、

 

なにかの違和感は拭えなかった…

 

なぜこうなんだろう、と自分に歯がゆい思いもしましたが、

 

どうにもなりません、実際がこうなのですから。

 

でも世の中には、

 

この仕事で生きていきます!と、答えられる人も多勢いて、

 

そんな人たちが精進しながら夢を叶えていく姿を見ると、

 

素敵だなと、正直思います。

 

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今の私は、少し意見が変わりました。

 

未来を描くときに、

 

仕事 = こうなりたい姿、何をやってるか、を描く人もいれば

 

状態 = こうありたい姿、どんな気持ちか、を描く人もいるのだと思います。

 

私がこの、、こうありたい、を、描く人。

 

どんな状態なのか?、をきちんと描くことが、私にとってはそもそも大切なことだったんです。

 

自分が、、どんな状態ならしあわせなのか?

 

では、そうなるためには、どうしたらいいのか?

 

なりたい姿がわかってる人は、この「、どうしたらいいのか」が、

 

 

先に答えとして見えている部分なんですね。

 

どちらの入り口からであっても、

 

思い描けたのなら、そこからどうすればいいか?が

 

わかってきます。

 

どうするのかは、さまざま…

 

それがひょっとすると、絵を描くことかもしれないし、

 

刺繍をすることかもしれないし、

 

山登りをすることなのかもしれない。

 

誰かの洋服を作ることかもしれないし、

 

マーケティングを考えることかもしれない。

 

だから私は未来を描くことよりも、

 

今の自分をどう充実させていくか、を考えています。

 

指針がないといえばないし、

 

自由といえばそうだし、

 

でも、

 

ほんとうに好きなことや得意なこと、

 

心が惹かれてしまうもの、

 

気がつくと夢中になってることって、

 

やっぱり、それらが私の特性ですね。

 

こうなりたいを描く人、

 

こう在りたい姿を描く人、

 

私の場合、後者です。

 

手段は、後から。

 

どちらのやり方を辿っても、

 

誰かのために、何かのために、

 

自分を役立てたいという思いは、

 

同じであると思います。

 

なんだかんだいって、今仕事をしていますが、

 

やらなくちゃいけないからやる、、だけではないです。

 

そこに私らしさとか、

 

何かの得意なことを織り交ぜながら、

 

仕事の時間も私の人生の時間として、

 

大切にしています。

 

嫌だから我慢の時間!なんて簡単に結論付けてしまわずに、

 

そこでどう、私を活かしていくのか?

 

知恵を働かせるのです。

 

ほんとうにダメなら、役に立てるところ、役に立ちたいところを探すまで、ですね。

 

未来を描けなかった私ですが、

 

それでも仕事をしていて、

 

お金をいただいてます。

 

自分の能力を使って、時間を費やして、

 

何かの、誰かの、役にたてているのです。

 

今このときを楽しく生きるのに、

 

こうすればうまくいくんだよ、というのは、ないですね。

 

私の長男が「やりたいことがわからない」と、言ってきたとき、

 

そりゃそうよ、どんな仕事があるのかもわからないのだから、と応じた私は、

 

頼りない親かもしれませんが、

 

未来を描けなかったからこそ、

 

考えて悩んで、

 

今を充実させてこられたのだと、

 

思っています。