自分と生きる 今を生きる

いつでも楽しく生きてみる。 心がよろこぶことしよう。

満足するとよそ見しなくなる

輝いてるあの人が気になって…

 

 

FBでのあの人の投稿がモヤモヤして…

 

 

まわりは、キラキラしてる人でいっぱいなのに、

 

 

どうしていつまでも私はこうなんだろう…

 

 

なんとかしなくちゃ、なんとかしたいのに、

 

 

どうすればいいの?!

 

 

そしてまた、何かを足そうと探し回って、、、

 

 

あぁでもまだ!まだまだ!

 

 

このままじゃダメ!

 

 

そんなふうに、求めて求めて、

 

 

迷走してる人が、

 

 

チラホラ、います。

 

 

なにがダメなの?

 

 

なにが足らないの?

 

 

キラキラしてるように見える

 

 

あの人みたいになりたいのですか?

 

 

お金持ちになって、

 

 

ホテルのスイートに泊まりたいのですか?

 

 

あなたがほんとに望んでいるもの、

 

 

望んでいる暮らし、

 

 

自分らしいと思える生き方って、

 

 

なんなのだろう。

 

 

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素敵そうに見えるものは、

 

 

巷にあふれてますよね。

 

 

そう見えるように、仕組んでいるのだから。

 

 

次から次へ、魅力的に写るものが

 

 

現れる。

 

 

足らないなにかを埋めようと、探し回ってる人には、

 

 

もう、終わりのない、「これください」ゲームです。

 

 

これまでの自分を否定したまま、

 

 

いきいきと生きていくことなんて、できやしないのに。

 

 

それまで重ねてきた時間を、

 

 

こんなはずじゃなかったと否定したまんまでは、

 

 

この先の人生だけ素晴らしいものになるなんて、

 

 

ないですよ。

 

 

これまでの時間が、

 

 

あなたそのものの人生だし、

 

 

今のあなたが、

 

 

ほんとうのあなた自身なんだもの。

 

 

そこを否定したまま、なにを手に入れたら充分だと思えるの?

 

 

これまでの自分に、ほんとうにいいと思たら、

 

 

他のことで、心が惑わされることなんて、

 

 

なくなります。

 

 

 

これまでに生きてきた時間、

 

 

それでこその今、

 

 

そこに、充分だと思たら、

 

 

他の何かが羨ましくなんてなくなります。

 

 

私は私で、いいのだ、

 

 

そう心から思えると、

 

 

よそ見する必要がなくなるのです。

 

 

いったいいつまで、、よそ見を続けるのだろう。

 

 

自分の中にもキラキラがあること、

 

 

これまで生きてきた時間の中で、

 

 

たくさん学んでこれたこと、

 

 

今この瞬間、

 

 

自分がいること。

 

 

考えることも発言することも、

 

 

何かを選ぶことも、

 

 

今の自分のおかげじゃないか。

 

 

これまでを否定するのは、

 

 

今を否定すること。

 

 

それなのに、この先だけキラキラ生きていく?なんて、

 

 

ないのです。

 

 

今を、大切に生きることなくして、

 

 

未来だけ輝かせようなんて、

 

 

できやしない。

 

 

よそ見しなくなるまで、

 

 

自分のことを見つめてみたらいいです。

 

 

 

まずは自分が、

 

 

自分をどう思うのか。

 

 

そこからなんだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

泣きっぱなしの子供を放っておけますか?

マンションに住んでると、外のいろんな音や、声が

 

 

聞こえてきます。

 

 

朝に多いのが、

 

 

子どもの泣き声。

 

 

わーわーとか、しくしくではなく、

 

 

ギャーギャー  泣いてます。

 

 

私には悲鳴に聞こえるほど。

 

 

お母さんには、そんな子供に優しく語りかける余裕も、

 

 

 

泣きがおさまるのにつきあう余裕も、

 

 

 

ないです。

 

 

 

朝だから。

 

 

 

幼稚園や保育園は、時間が決められてるし、

 

 

そのあと自分が出勤しなきやいけない人は

 

 

そりゃ急ぐでしょう。

 

 

電車の中や、スーパーにも、よくある光景。

 

 

子供がギャンギャン泣いてるのに、

 

 

 

お母さんは放っておく。

 

 

 

背中を向けてズンズン歩いてたりもする。

 

 

「〜ちゃんが、〜〜だからでしょ!」

 

 

 

なんて、怒鳴ったりして。

 

 

泣きっぱなしが放っておかれても、

 

 

仕方ないの!当然なの!

 

 

あなたが悪いんだから!

 

 

 

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だから、罰を与えても

 

 

いいの?

 

 

そう、問われたらなんて応えるかな。

 

 

私も3人の子供を育てています。

 

 

今は大きくなりましたが、

 

 

通った道です。

 

 

子供がね、、、、そこまでの、悲鳴に近いまでの泣き声になるには、

 

 

段階があるの。

 

 

 

すぐにそこまでにはならない。

 

 

 

その、途中の段階で、おかあさんは子供の気持ちに寄り添うことは

 

 

できなかったのかな?

 

 

そう、思います。

 

 

朝忙しいとき、

 

 

 

自分でボタンとめる!という子供に

 

 

できないでしょ、時間ないんだから、と

 

 

母親がやってしまう、、、すると、子どもはどうですか?

 

 

スーパーに向かうとき、抱っこしてぇ、、と子供がいうのを

 

 

ママは荷物あるんだからね

 

 

自分で歩きなさいっ、と言ってしまう、、、

 

 

お母さんの小さなイライラは、

 

 

どんどん子供の心に積もっていくよね。

 

 

そして、子供が耐えられなくなる。

 

 

ほんの少しだけ、

 

 

気持ちに寄り添ってほしいだけなのに。

 

 

「うん、〜ちゃんも疲れたよね」と

 

 

言ってほしいだけなのに。

 

 

「自分でやれるの?すごいなー」と

 

 

見ていてほしいだけなのに。

 

 

ボタンなんて止めてなくたって平気じゃない、ぐらいの

 

 

適当さも、アリじゃないかな。

 

 

お母さんの心は、ストレートに子供に伝わるのだから。

 

 

それでもいいよ、そんなあなたでいいよ。

 

 

そんな気持ちを、受取りたいだけなのです、子供はね

 

 

子供に寄り添えなくなるぐらい、

 

 

余裕をなくしてしまう前に、

 

 

自分の心を、だいじにして、

 

 

よし、これならいけるわ大丈夫、と思えるまで、

 

 

ゆっくりとしてれないのだろうか。

 

 

そうしたら、泣き出しそうな子供に

 

 

どうしたの?と、笑顔を向けられるかな。

 

 

子供が泣き叫んでいるのは、

 

 

お母さんに気がついてほしいから。

 

 

よく、よく、見てごらん。

 

 

悲鳴をあげるように泣きたいのは、

 

 

ほんとは、、お母さんではないのかな?

 

 

子供はわかってます。

 

 

今すぐ、でなくてもいいよね。

 

 

完璧でなくてもいいよね。

 

 

 

ゆっくりでもいいよね。

 

 

自分のやり方でいいよね。

 

 

 

お母さんは、そういうことを、考えられないほど、忙しい。

 

 

今いるコミュニティで、承認を得たり、

 

 

夫の期待、要求に応えたり、

 

 

育った環境、つまり親から言われていたこと、刷り込まれた価値に

 

 

応えようとしたり。

 

 

お母さんは、知らず知らず

 

 

いっぱい、いっぱいなんですね。

 

 

だから、子供にも

 

 

「もう、いっぱいなの!」が、

 

 

 

伝わってしまう。

 

 

泣き叫ぶ子供を放っておけますか?

 

 

 

 

泣き叫んでいるのは、

 

 

あなた自身では

 

 

ないのかな。

 

 

余裕なくて、、気持ちに寄り添えなくて、、

 

 

そして、こんなことになっちゃった、、、

 

 

 

子供は、あなたに問いかけてます。

 

 

自分を幸せにするために、

 

 

今やることは、なんなの???

 

 

 

 

 

完璧主義じゃダメですか?

「こんなに頑張ってるのに!」

 

 

「これだけやってるのに!」

 

 

「どうして誰も認めてくれないの??」

 

 

そういう人が、います。

 

 

おうちの中に

 

 

ママ友の中に

 

 

職場の中に

 

 

怒りのオーラが出ているのに気がつかないで、

 

 

さらにがんばることを、止められない人。

 

 

「だって!もっとやらなきゃ認めてくれないんでしょ?」

 

 

たぶん、そのまんまだと、

 

 

認めてもらった、、というよろこびは、

 

 

得られない。

 

 

「どうして?」

 

「誰が見ても、、私はこんなに頑張ってるし、結果も出してるし、

そんなの納得いかない!」

 

 

そう、そうよね。

 

 

でもね、怒ってる人には

 

 

近づきたくない、、のが人間。

 

 

カミナリ落とされたら嫌でしょ〜〜。

 

 

認めてもらえない、と頑張り続ける人は、

 

 

私のことを認めてくれたら、

 

 

私のテリトリーに入れてやってもいいよ

 

 

そう、思ってるフシがあるから

 

 

人は、なんとなく近寄り難いと思う。

 

 

みんなから認めてもらうために、

 

 

評価されるために、

 

 

そして、完璧であるために、

 

 

黙々と、怒りながら、やり続ける。

 

 

黙っていても、それが伝わってくるのです。

 

 

完璧であろうとするのは、

 

 

文句言われたくないから、

 

 

批判されたくないから、

 

 

出来ないと思われるのが我慢ならないから。

 

 

完璧であろうとするのは

 

 

あなたの、武装体制でしょ?

 

 

戦わなければならない?

 

 

守らなければならない?

 

 

でないと向こうから攻撃される?

 

 

まわりは敵だらけだと思っているのは、

 

 

自分です。

 

 

まわりの人はあなたのことを

 

 

孤独な完璧主義だと思ってるかもしれません。

 

 

がんばり方を、少し変えてみる。

 

 

ファイティングポーズをとるのではなくて

 

 

ホスト役になる。

 

 

自分もまわりもリラックスしながら楽しむことに、

 

 

そのエネルギーを向けてはどうですか?

 

 

武装している人は、

 

 

弱味を見せると負けだと思ってるけれど、

 

 

その弱みにこそ、その人らしさや、

 

 

人間臭さがあって、

 

 

わたしはそこに、惚れます。

 

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なんだか、ひとり勝手に怒ってる人には、

 

 

やっぱり心開いて付き合えない。

 

 

完璧主義な人は、他人の欠点や弱点を見つけるのも

 

 

とても上手いものだから、

 

 

まわりの人は、審査されるようで、

 

 

なんだか気軽には近寄れない。

 

 

そんな…   孤独な完璧主義のままで

 

 

いいですか?

 

 

そろそろ、武装解除、しましょうよ。

 

 

その方がきっと、もっとあなたが輝くし、

 

 

生きてて、楽です。

 

 

楽というのは、リラックスしてるということ。

 

 

余計な力がなく、自然体で、

 

 

今を味わってることです。

 

 

眉間にシワ寄せて、

 

 

目を光らせて、

 

 

カチコチになってがんばってると、

 

 

誰より自分が疲れてます。

 

 

一人のときにリラックスするのもいいけれど、

 

 

人間同士の関わり合いの中でリラックスできてる方が、

 

 

生きてて、楽しいこと、間違いなしです。

 

 

敵ではなくて、たまたま出会えた生きる仲間たち。

 

 

そう思えたら、いいな。

 

気にしないというタフさ

気にしないというのと

 

 

気配りしないというのは、違います。

 

 

でも気配りするのと、

 

 

相手の機嫌を損ねないようにするのも

 

 

また、違うよね。

 

 

気にしないというのは、

 

 

わたしはそこに、何かを測るものさしをもってないです、

 

 

ということ。

 

 

着る服を気にしない、

 

 

寝癖を気にしない、

 

 

テストの結果を気にしない、

 

 

いいね!の数を気にしない。

 

 

無頓着なのではなく、

 

 

優劣をつけないし、いい悪いのジャッジもしないこと。

 

 

だから、人間関係で

 

 

この「気にしない」タフさをもつと、

 

 

すごく楽です。

 

 

誰と付き合ってても楽しいし、

 

 

嫌なこともそんなになくなります。

 

 

相手が自分をどう思うか、気にしないので

 

 

とても自由に喋れるし、

 

 

かといって、相手を攻撃する気持ちもないのだから、

 

 

ありのままです。

 

 

するとね、不思議なことに、

 

 

人から好かれるようになる。

 

 

人に好かれようと頑張っていたときは、

 

 

なんかちっともうまくいかなかったのに、

 

 

素の自分でいるようになったら、

 

 

友だちとの時間が増えて、楽しくなってきた!

 

 

「気にしない」

 

 

これは、強いです。

 

 

相手に〜〜こう思ってほしいもないし、

 

 

相手の反応に一喜一憂することもない。

 

 

相手がどう思うのか?は、

 

 

相手のテリトリーの問題であって

 

 

自分がどうのこうの、できることじゃない、

 

 

そんな肚の座り方です。

 

 

どうしたら、そんなタフさを身につけられるのかな?

 

 

どうしても、、他人の表情が気になるという人、多いですよね。

 

 

私がやったことが、不満だったのではないか。

 

 

今言ったことは、傷つけちゃったんじゃないか。

 

 

自慢してるように聞こえたんじゃないか。

 

もう、、、、、

 

 

相手がどう思ったのか?を気にしだしたら、

 

 

キリがない。

 

 

やめませんか?

 

 

タフに、なりませんか?

 

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「このまんまの自分で、私は充分!」

 

 

 

そう思えたら、

 

 

タフではないですか?

 

 

いちいち、他人の評価なんて気にしないでしょ。

 

 

まわりからほめられることを、求めないのだもの。

 

 

もっというと、

 

 

大切な自分の価値を

 

 

他人になんて、決めさせない!ぐらいの

 

 

元気があってもいいかもしれません。

 

 

みんな、自分を卑下しすぎる。

 

 

ダメ出しばっかりやってる。

 

 

なんでもっと、自分をリスペクトしないのだろう。

 

 

もう、やめましょう。

 

 

タフに   なろう。

 

 

そしたらもっとリラックスして、

 

 

その人らしく、輝くんだと思います。

 

 

笑う、泣く、怒る、はやり切る

きちんとしている人が、とても多い。

 

 

きちんと…って、身なりとか言葉遣いもあるけれど、

 

 

そこには、生き生きとしたその人らしさが、

 

 

ちっとも感じられない。

 

 

きちんとするのは、なんでだろう。

 

 

そうしなくちゃ、、負けちゃう?

 

 

非難される?

 

 

ほら、ダメじゃんって指摘されるのかな。

 

 

きちんとしてないと、いけない。

 

 

そうでなきゃ、認められない、評価されない。

 

 

そんなモノサシが、

 

 

世の中には、あちこちいっぱいに溢れていて、

 

 

少し窮屈ではないですか?

 

 

ほんとはゲラゲラ笑いたいのに、

 

 

くすっ、と微笑む程度ですか?

 

 

それじゃあ感情が昇華されないまんま、

 

 

体の中でグツグツ、煮込まれていく。

 

 

相手のひどい態度に、

 

 

自分自身が粗末にされた扱いであっても、

 

 

黙って我慢するのですか?

 

 

いや、そこは怒らなきゃ!

 

 

心は怒ってますよね?

 

 

それなのに「 大人なんだから」と、

 

 

抑えこんでしまうのですか?

 

 

怒りはブスブスと、我が身を燃やし続ける火種になってしまう。

 

 

そして、

 

 

悲しい、、、傷ついてる、、、

 

 

心がそう言ってるときに、

 

 

浄化する涙も流さない。

 

 

泣くと、負けなのですか?

 

 

それとも、泣き出すと止まらなくなるのが怖い?

 

 

だったらさっさと、

 

 

大声あげて泣こうよ。

 

 

そこで我慢すると、心の中で嗚咽が止まらないよ。

 

 

そしてそれはやがて、悲鳴になる。

 

 

 

助けてよ、わかってよ、話を聞いてよ、

 

 

 

ちゃんと私を見てよ、、、、

 

 

 

笑うも 泣くも  怒るも

 

 

大切な人間の感情。

 

 

表現されない感情は、

 

 

消えて無くなるわけではないです。

 

 

消えないまんま、抑えつけられたまんま、

 

 

 

少しずつ心と体を傷つけていくのです。

 

 

ひどくなると、病になる。

 

 

感情を表現するのに

 

 

躊躇するのは、相手に悪いから?

 

 

相手を攻撃するためではなく、

 

 

責めるためではなく、

 

 

自分の心を守るため

 

 

この心を大切に慈しむため

 

 

 

そのために、感情を表現しよう。

 

 

 

感じ切ったら、ほら、すっきりする!

 

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思いっきり泣いたあと、お腹がすくでしょう?

 

 

腹の底から笑うと、生きてるのが楽しくなるでしょう?

 

 

相手を責める怒りでなくて、

 

 

自分を守る怒り、は

 

 

だいじ。

 

 

 

そこ!怒んなきゃ!って

 

 

 

心は言ってる時があると思います。

 

 

「私はそのことに怒ってる」という

 

 

意思表示です。

 

 

ちゃんと怒らずに、不機嫌を撒き散らすぐらいなら、

 

 

「わたし、そのことについては

 なんだか、納得いかない」  とでも

 

 

言葉にすればいいです。

 

 

そうしたら、相手もまわりも

 

 

なるほどね、そうよね、と

 

 

共感してくれる部分があるかもしれない。

 

 

感情を抑えつけたまんまは、

 

 

やがて自分が破綻する。

 

 

 

 

私はそこに、城壁を感じます。

 

 

城壁の中で、守ってるのはなんだろう。

 

 

他人からの評価?関係性?

 

 

きちんとしてる、ちゃんとしてる、大人、揉め事はいや、、、

 

 

 

でもそこに、

 

 

 

その人らしい生々しさが、ない。

 

 

人と人が関わり合えば、

 

 

多少の摩擦も、いくらかの譲り合いも、

 

 

そのどちらもが化学反応。

 

 

そこを、やらないで、どうする。

 

 

すると、どうなるか。

 

 

まわりはちゃんと関わってくれなくなる。

 

 

なぜなら、

 

 

 

その人自身が、隠れてしまっているから。

 

 

しっかりと感情に向き合うと、

 

 

その人らしい、生き生きとした表情が戻ってきて、

 

 

日々の暮らしにも、

 

 

 

躍動感があると思う。

 

現実は生きるヒントにあふれてる

現実は、いつでもヒントをくれている。

 

 

私がなにを考えているのか、

 

 

どんな捉え方をしているのか、

 

 

嫌がっていること

 

 

よろこんでいること

 

 

そろそろ乗り越えた方がいいこと

 

 

たくさんのヒントをくれている。

 

 

仕事先の苦手なあの人は、

 

 

その人のこだわり方がどうにも気に障る。

 

 

それは、私の中にもこだわりが存在していて、

 

 

それが苦しみを生み続けていること、

 

 

こだわるからうまくいかないこと、

 

 

こだわるとは、固まって進めなくなってることだと教えてくれる。

 

 

だから、

 

 

さっさと手放しなさいと見せつけてくれているね。

 

 

いっしょにいる不機嫌なあの人は、

 

 

他人になんとかしてもらおうと甘えていると

 

 

いつまでたっても自分が心地よくはなれないことを

 

 

教えてくれている。

 

 

 

友だちのひとりは、

 

 

 

他人に合わせようと、自分の意見を押し殺してつき合ってると、

 

 

いつまでたっても、ほんとに友だちにはなれないんだと

 

 

知らせてくれている。

 

 

 

だから現実は、

 

 

こちらがなにか変えようとして、がむしゃらに立ち向かうものではなくて、

 

 

言ってみれば

 

 

生きるヒント集。

 

 

仲良くするに、限る。

 

 

うまくいってるときも、

 

 

なんだかうまくいかないときも、

 

 

 

原因は今の自分にあるんだと思えば、

 

 

なんとでもなる。

 

 

過去は変えられないし、

 

 

未来はどうすることもできないし、

 

 

過去や未来に向き合って途方にくれるぐらいなら、

 

 

 

今  できることを

 

 

探してみよう。

 

 

頭を使って

 

 

心を探って

 

 

私たちがなんとかできることは、

 

 

今だけなのだからね。

 

 

この瞬間の 選択。

 

 

なんにも答えが見つからないな〜〜というときは、

 

 

さっさと寝てしまった方がいい。

 

 

寝て、

 

 

頭も体も休めて、

 

 

朝起きたときに違う視点で現実が見えてくることは、

 

 

往々にしてあるのだから。

 

 

こねくり回すより、

 

 

休んでおく。

 

 

ああ、なんかむずかしいお題がきたなあ〜と、

 

 

ふんふんどんな問題だと、眺められるぐらいの余裕が、

 

 

あるといい。

 

 

がむしゃらになりすぎないよ、

 

 

見えなくなるから、

 

 

自分のことも、現実も。

 

 

力を発揮するには、

 

 

リラックス、自然体。

 

 

ちゃんと、現実が捉えられたら、

 

 

そこには、生きるヒントがある。

 

 

それを見つけるには、

 

 

力んでいては、むずかしいよ。

 

 

焦点を合わせる、

 

 

それはリラックス。

 

 

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本音のメリークリスマス

それまでずっと、


自分の本音を表に出すことなんて、


選択肢にはなかったんです。


本音を出しては、周りとうまくやっていけないと、


はなっから思ってました。

 

本音は押し殺して、

 

周りの空気とか意見を優先していくものだ、

 

生きていくとは、そういうものだ、

 

それぐらいに考えてました。

 

だからこそ、自分の気持ちを大切に生きるって

 

なかなか、かんたんでは、なかったです。

 

わからない、、、んですね、

 

 

楽しく生きるって

 

どういうこと?


そんなことすら、模索しながら、

 

ここ数年、やってきました。

 

やったことのないことは、

 

いくら本を読んでも、実感がわかない。

 

バイクを運転したことのない人間が、

 

教則本を読んだところで

 

すぐに運転のコツがつかめないのと

 

似ているのかもしれません。

 

わたしは、とてもとても

 

不器用な人間かな、と思ってます。

 

そのくせ、生真面目なんです。

 

 

そのままでは

 

愛されないんだと

 

 

思ってました

 

 

誰かの役に立つこと

 

その場でみんなが喜ぶことをすること

 

そんな役回りをすることで、

 

自分の存在価値を確かめていたのです。

 

だから、場の空気を読むことは、素晴らしく上手でした。

 

表に出てない人の気持ちを読み取ることにも

 

長けていました。

 

自分の気持ちはさておき、

 

その場で、誰かの役に立つ。

 

それがわたしの、当たり前だったんですね。

 

けれど、生きていくにつれて、

 

やっぱりおかしい

 

 

このままでいいとは

 

 

思えない



 

もっと自分を生きたい

 

そんなふうに

 

考えるようになったのです。