自分と生きる 今を生きる

いつでも楽しく生きてみる。 心がよろこぶことしよう。

なんのために?

穏やかな心でいられることは、

 

何にもまして、しあわせなことです。

 

なぜ自分がそうなれたのか、

 

なぜ以前はそうではなかったのか。

 

喉から手が出るほど欲しいと願っていた

 

この穏やかさ。

 

ここまでくるのに、いったい何十年かかったんだろう。

 

そしてこれでゴールというわけではなく、

 

大変なことが起こらないというわけでもなく、

 

変わらない日々…けれども昔とは違う私で、

 

またコツコツと、生きていくのですね。

 

ビフォーアフターをちゃんとみることは、

 

この先のなにがしかのヒントになるでしょう。

 

 

 

今はっきりと言えるのは、

 

人はなんのために生きるのか?という

 

はじめの一歩のような問いかけに、

 

明確に、確信を持ってこたえられらように、なったこと。

 

 

 

自分をしあわせにするために

 

このシンプルな目的のために

 

私たちは生きているのだと思います。

 

だからこそ、学びと言われることを

 

繰り返していく。

 

自分という人間を

 

どんな思い込みが作り上げているのかを

 

目を逸らさずみていく。

 

私たちが学んでいるのは

 

愛し方  ですね。

 

愛してほしい、認めてほしい、受け止めてほしい、

 

そんな気持ちにがんじがらめになって、

 

満たされなくてもがいているのは、

 

自分が 自分を

 

愛してない、認めてない、受け止めてない。

 

それだけです。

 

ここを、嫌になるほど思い知って、

 

私はそれらを他人に求めることを

 

やめました。

 

たとえ、どんな最悪な環境であっても、

 

 

それが理由で人生を決められることは

 

 

ありません。

 

 

そんなことはない、あんなふしあわせな家庭に育ったのだから

 

私がこうなってるのは仕方がないのだ

 

 

そう、考える人は少なくないかもしれませんね。

 

 

そんな一面もあります。

 

 

でも、一面だけですよ。

 

 

それをすべての理由には

 

 

できないし、ならないです。

 

 

それを理由にして、なんとかしてくれと叫んでいるのは、

 

 

本人なのだから。

 

 

満たされないまま育ったことは、

 

 

それ以上でもないし、それ以下でもない、

 

 

そうだった、ということです。

 

 

そこまで俯瞰できると、

 

 

傷を抱きしめてしがみついてたのが、

 

 

自分だったことが見えます。

 

 

ふしあわせになるための絶対的な条件も

 

 

しあわせになるための条件も

 

 

万人共通にはないですよね。

 

 

ただひとつ、だけです。

 

 

自分を愛すること

 

 

大地に水と栄養を与えるように、

 

 

豊かになるものを与えていくだけ。

 

 

それが、自分への愛だと思います。

 

 

自分の大地を豊かにしますか?

 

 

それとも貧弱で乾き切ったまま、

 

 

誰かがなんとかしてくれると思い込んだままでいますか?

 

 

人は、自分をしあわせにするために、

 

生きています

 

その過程でまわりの人や社会に、愛が届けられていく。

 

人のため、社会のためが先ではないですね。

 

耕せるのは自分の大地だけであり、他人のではありませんから。

 

自分の大地に

 

自分という樹を育てて、

 

その果実が誰かをしあわせな気持ちにすることは

 

あるでしょう。

 

どんな樹を育てるのか

 

そのためには大地を豊かにして

 

どんな種を蒔くのか

 

向き合うのは自分の人生、

 

そこにしっかり、取り組んで生きたいです。