安心という生きる力
不安や不満を抱えながら
人はそれでも「こんなもんかな」と
生き続けています。
私は、自分がとても辛かったときに
生き続けなくてはならない、ということが
実は、なによりいちばん苦しいことなのではないか?
そんなふうに考えていた時期がありました。
どう対処すればいいかわからないこと、
そのことを考えるだけで苦しくなってしまうこと、
そんなことだらけで、頭の中も心も、
占領されていたからです。
ただただ、なんとかしたい、なんとかならないものか、
もがいてるだけの日々でした。
そのころ、得たいと願っていたのは、
「 安心 」でした。
安心って、なんだろう…
このままで大丈夫、という、
確信みたいなものなのでしょうか。
このままの私で大丈夫
今のまんまで大丈夫
今大変だとしても、きっと大丈夫
そんな、未来への確信、なのかな、と
思います。
安心は、生きる力を生みますね。
そこに希望が加われば、
さらに前に進む力になります。
混沌とした苦しみの中で、何を解決したら安心できるのか?
何を手にしたら安心できるのか?
ほんとの答えは、その人にしか、わかりません。
はっきりと、自信を持って言えることは、
苦しみは、その人の何かを手放すことで、
ずいぶんと楽になる、ということです。
楽になるというのは、苦しみがそれほどのことでもなくなるということ。
何を手放すのか?
過去への思いなのか、植えつけられた価値観なのか、固定化された思い込みなのか。
現実はそのままであっても、
心の中での受け止め方が、変化することで、
いや、実際はそれでしか、
苦しみから解放されることは、ないのかもしれませんね。
現実をどうにかしようと格闘する方が、
苦しみはさらに、増していきます。
何が、そのことを苦しみとしてしまっているんだろう?
私の心の中の、なんなのだろう?
そんなふうに見つめることで、
安心への入り口に立てるのでは、ないかな、
そう思います。
「 安心 」
生きていていいよ
大丈夫だよ
そのままで
このままで
いいんだよ
「 安心 」を手にして、
人は、その人らしい輝きを取り戻す。
輝き始めたら、思い出せるのですね、
あぁ、これが、私だ…
これが私だったんだ…
そう、
その人らしく生きるために
安心は だいじ。
子供にとっても、大人にとっても、
その意味は変わりがありません。
あなたが安心するために、
何を手放せばいいのか?
囚われているものがあるとするのなら、
自分を見つめることで、なにかに気がつけるはずです。
外側の原因は、ほんとの原因では、ないのだから。