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自分と生きる 今を生きる

いつでも楽しく生きてみる。 今 ここ 自分

心の変化をどうすれば起こせるの?

安心すると、こんなにも気持ちが軽くてラクなんだな…

 

そう思いました。

 

安心すると余裕ができて、日常の生活はもちろん

 

自分のことにもちゃんと手間暇かけてあげられるものなんだな…

 

そう思いました。

 

そして、はっ!

 

気がつきました。

 

「 安心 」

 

これは、普通にしていて、なんとなく手にできるものじゃないんですね。

 

じゃあ

 

安心するためには、

 

どうすればいいのか?

 

 

それは、変化することだったんです。

 

 

安心する前には、安心していなかった時の状態があって、

 

そこが変化したから

 

安心できたのですね。

 

変化には2種類あります。

 

恐れや不安など、「なくなった」から安心できた。

 

愛情やお金など、「手に入れた」から安心できた。

 

なくなったから、安心した…

 

手に入れたから、安心した…

 

なにをなくしたのか、

 

なにを手に入れたのか、

 

そこをよく見ると、自分が人生の中でどんな優先順位をつけているのかが

 

見えてきます。

 

これは、大事なことです。

 

自分にとっての大事なことを発見するなんて

 

実はかなり、難しいです。

 

私の人生に、ほんとはなにが大切なのか?

 

この指針がはっきりとすれば、

 

なにをすればいいか?というより、

 

なにが必要ないのか、

 

なにをしなくていいのか、

 

そこがはっきりします。

 

今まだ、安心を手にできていないとするのなら、

 

安心ではない自分が、なにを抱えているのか

 

なんに囚われているのか

 

ちゃんと文字にしてみると、発見があります。

 

 

 

不安がある。

 

なぜなら、行動できていないから。

 

それは、行動しなくちゃ、という考えがあるから。 

 

 

嫌な思いが塊のようにある。

 

なぜなら、表現しきれていない怒りがあるから。

 

それは、怒りの矛先の相手へ、本音を伝えきれていないから。

 

 

苦しめているのはなんだろう?

 

 

変えていけばいいのはなんだろう?

 

 

人は、見えたことから、気がつくし

 

気がつけば、その発見から、

 

変化が起こります。

 

 

人生に変化を起こすのは、

 

「私」を素直に見ていくことからですね。

 

 

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安心という生きる力

不安や不満を抱えながら

 

人はそれでも「こんなもんかな」と

 

生き続けています。

 

私は、自分がとても辛かったときに

 

生き続けなくてはならない、ということが

 

実は、なによりいちばん苦しいことなのではないか?

 

そんなふうに考えていた時期がありました。

 

どう対処すればいいかわからないこと、

 

そのことを考えるだけで苦しくなってしまうこと、

 

そんなことだらけで、頭の中も心も、

 

占領されていたからです。

 

ただただ、なんとかしたい、なんとかならないものか、

 

もがいてるだけの日々でした。

 

そのころ、得たいと願っていたのは、

 

「 安心 」でした。

 

安心って、なんだろう…

 

このままで大丈夫、という、

 

確信みたいなものなのでしょうか。

 

このままの私で大丈夫

 

今のまんまで大丈夫

 

今大変だとしても、きっと大丈夫

 

そんな、未来への確信、なのかな、と

 

思います。

 

安心は、生きる力を生みますね。

 

そこに希望が加われば、

 

さらに前に進む力になります。

 

混沌とした苦しみの中で、何を解決したら安心できるのか?

 

何を手にしたら安心できるのか?

 

ほんとの答えは、その人にしか、わかりません。

 

はっきりと、自信を持って言えることは、

 

苦しみは、その人の何かを手放すことで、

 

ずいぶんと楽になる、ということです。

 

楽になるというのは、苦しみがそれほどのことでもなくなるということ。

 

何を手放すのか?

 

過去への思いなのか、植えつけられた価値観なのか、固定化された思い込みなのか。

 

現実はそのままであっても、

 

心の中での受け止め方が、変化することで、

 

いや、実際はそれでしか、

 

苦しみから解放されることは、ないのかもしれませんね。

 

現実をどうにかしようと格闘する方が、

 

苦しみはさらに、増していきます。

 

何が、そのことを苦しみとしてしまっているんだろう?

 

私の心の中の、なんなのだろう?

 

そんなふうに見つめることで、

 

安心への入り口に立てるのでは、ないかな、

 

そう思います。

 

「 安心 」

 

生きていていいよ

 

大丈夫だよ

 

そのままで

 

このままで

 

いいんだよ

 

「 安心 」を手にして、

 

人は、その人らしい輝きを取り戻す。

 

輝き始めたら、思い出せるのですね、

 

あぁ、これが、私だ…

 

これが私だったんだ…

 

そう、

 

その人らしく生きるために

 

安心は だいじ。

 

子供にとっても、大人にとっても、

 

その意味は変わりがありません。

 

あなたが安心するために、

 

何を手放せばいいのか?

 

囚われているものがあるとするのなら、

 

自分を見つめることで、なにかに気がつけるはずです。

 

外側の原因は、ほんとの原因では、ないのだから。

 

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なんのために?

穏やかな心でいられることは、

 

何にもまして、しあわせなことです。

 

なぜ自分がそうなれたのか、

 

なぜ以前はそうではなかったのか。

 

喉から手が出るほど欲しいと願っていた

 

この穏やかさ。

 

ここまでくるのに、いったい何十年かかったんだろう。

 

そしてこれでゴールというわけではなく、

 

大変なことが起こらないというわけでもなく、

 

変わらない日々…けれども昔とは違う私で、

 

またコツコツと、生きていくのですね。

 

ビフォーアフターをちゃんとみることは、

 

この先のなにがしかのヒントになるでしょう。

 

 

 

今はっきりと言えるのは、

 

人はなんのために生きるのか?という

 

はじめの一歩のような問いかけに、

 

明確に、確信を持ってこたえられらように、なったこと。

 

 

 

自分をしあわせにするために

 

このシンプルな目的のために

 

私たちは生きているのだと思います。

 

だからこそ、学びと言われることを

 

繰り返していく。

 

自分という人間を

 

どんな思い込みが作り上げているのかを

 

目を逸らさずみていく。

 

私たちが学んでいるのは

 

愛し方  ですね。

 

愛してほしい、認めてほしい、受け止めてほしい、

 

そんな気持ちにがんじがらめになって、

 

満たされなくてもがいているのは、

 

自分が 自分を

 

愛してない、認めてない、受け止めてない。

 

それだけです。

 

ここを、嫌になるほど思い知って、

 

私はそれらを他人に求めることを

 

やめました。

 

たとえ、どんな最悪な環境であっても、

 

 

それが理由で人生を決められることは

 

 

ありません。

 

 

そんなことはない、あんなふしあわせな家庭に育ったのだから

 

私がこうなってるのは仕方がないのだ

 

 

そう、考える人は少なくないかもしれませんね。

 

 

そんな一面もあります。

 

 

でも、一面だけですよ。

 

 

それをすべての理由には

 

 

できないし、ならないです。

 

 

それを理由にして、なんとかしてくれと叫んでいるのは、

 

 

本人なのだから。

 

 

満たされないまま育ったことは、

 

 

それ以上でもないし、それ以下でもない、

 

 

そうだった、ということです。

 

 

そこまで俯瞰できると、

 

 

傷を抱きしめてしがみついてたのが、

 

 

自分だったことが見えます。

 

 

ふしあわせになるための絶対的な条件も

 

 

しあわせになるための条件も

 

 

万人共通にはないですよね。

 

 

ただひとつ、だけです。

 

 

自分を愛すること

 

 

大地に水と栄養を与えるように、

 

 

豊かになるものを与えていくだけ。

 

 

それが、自分への愛だと思います。

 

 

自分の大地を豊かにしますか?

 

 

それとも貧弱で乾き切ったまま、

 

 

誰かがなんとかしてくれると思い込んだままでいますか?

 

 

人は、自分をしあわせにするために、

 

生きています

 

その過程でまわりの人や社会に、愛が届けられていく。

 

人のため、社会のためが先ではないですね。

 

耕せるのは自分の大地だけであり、他人のではありませんから。

 

自分の大地に

 

自分という樹を育てて、

 

その果実が誰かをしあわせな気持ちにすることは

 

あるでしょう。

 

どんな樹を育てるのか

 

そのためには大地を豊かにして

 

どんな種を蒔くのか

 

向き合うのは自分の人生、

 

そこにしっかり、取り組んで生きたいです。

 

 

 

 

 

 

 

立ち止まる・感じてみる・力を抜く

次から次へと、やらなくてはならないことをこなすだけになっていると、

 

 

その後で、ものすごく消耗している自分に気がつきます。

 

 

やっているときは、何も考えていないので、

 

 

最中は疲れてるなんて思いもしないのですが、

 

 

後から、気がつきます。

 

 

これは、自分のエネルギーがダダ漏れしているからですね。

 

 

それは、疲れます。

 

 

なぜ、それをしているの?

 

 

そこを飛ばしたまんま、ただやるだけだと、

 

 

いったい私は何のために生きているんだろう…

 

 

そんな空虚感におそわれたりします。

 

 

立ち止まる

 

 

いったんそれをストップさせてみる。

 

 

なにをやってるの?と、見てみる。

 

 

それには勇気がいることも、あるかもしれない。

 

 そして、

 

 

感じてみる

 

 

心地よく疲れているのか、消耗しているのか、またやりたいと思うのか、、、

 

よくよく、見ます。

 

 

感じようとしても、最初はなんにもわからないかもしれない。

 

 

それは、緊張がとけていないからです。

 

 

緊張したまんまだと、

 

 

自分が痛い思いをしていることにすら、気がつけなかったりします。

 

 

だから、力を抜こう

 

 

ゆるめて、あげる。

 

 

深呼吸して、安心させてあげて、

 

 

自分にそっと問いかけます。

 

 

なんのために、それをしているの?

 

 

そこから、なにを得たいの?

 

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よろこびなのか、それともお金なのか。

 

 

正直に心に問いかけてみる。

 

 

たとえば、、部屋の片付けなら

 

 

さっぱりとした爽やかな空間を手にして、

 

 

自分の心をすっきりとさせたい、

 

 

かもしれないし、

 

 

料理なら、美味しさを味わいたいとか、

 

 

一緒に食べる誰かとの、安らぎの時をもちたいとか、

 

 

そんなふうに、得たいものは、あると思います。

 

 

そこをわかっていると、

 

 

なんのために今、自分のエネルギーを注いでいるかに、

 

 

ちゃんと納得がいってます。

 

 

そうじゃなくて、やるだけ、こなすだけに追われていると、

 

 

そこからなにも得ていない、

 

 

なんにも、生み出していないのですね。

 

 

これだけ時間とエネルギーを注いでいるのに、

 

 

徒労感しか残らないのは、

 

 

そこでしょう。

 

 

子育てしていると、わかります。

 

 

得たいのは、子供の笑顔、だけだったりします。

 

 

疲れて睡眠不足で、目の下にクマができていても

 

子供の誕生日にがんばってお料理したりする、

 

 

それは純粋に、子供の笑顔を見る事で

 

 

自分のよろこびを得たいからですね。

 

 

もっと言うと、子供がよろこばなくても、

 

 

そのことをすることが目的なのだから、

 

 

やったことが、私のよろこびに、なります。

 

なんのために、それをしているのか

 

 

まいにち、疲れて

 

やることに追われて、

 

いったい私の人生なんだろう…という思いがよぎったら

 

立ち止まって

 

感じてみてください。

 

自分をゆるめて、

 

素直に見つめてみることです。

 

すべてに完璧なこたえを求めると、

 

人間は息苦しくなりますが、

 

心がなにを感じているのか?

 

なにを感じたいと思っているのか?

 

そこをしっかりわかると、

 

エネルギーをダダ漏れさせることは、

 

 

なくなると思います。

 

 

 

「私はこのままでいいのか?」という不安

なにかをやらなくちゃいけない

 

なにかを成し遂げなくちゃいけない

 

漠然とそう思っている人が、いますね。

 

そんなとき、人がどういう行動に出るか?

 

不思議と

 

なにかしなくっちゃ、と、もがいてるまんまで、行動している人は、

 

まわりにもそれが伝わってしまう。

 

 

なにか…  の「 なにか 」について、

 

 

当の本人が、わかってないまんま

 

 

行動しているから。

 

 

このままでいい、と思えていない理由を、

 

 

ちゃんと見ていないから。

 

 

だから、やみくもに、

 

 

なにかしなくちゃという気持ちだけで

 

 

動いてしまっている。

 

 

なぜ、このままではいけないのですか?

 

 

「誰々はこんなことをして、あんなこともして、

 

 なんだか、すごくって、、、、

 

 私もそうならなくちゃ、と感じてしまう」

 

 

「まわりは積極的で、どんどん外に出ていって、

 

 お金にも人にも、めぐまれているから、、、、

 

私もそうなりたいと、思ってしまう」

 

 

これらのことは、全部

 

 

他人の世界の話しですね。

 

 

自分の世界ではない。

 

 

主語が、違います。

 

 

そこに生きている人は、他人です。

 

 

なにかが足らないからダメだ、なんとかしなくちゃ

 

 

そう思って行動しているうちは

 

 

きっと足らない気持ちのまんま、

 

 

ずっと走り続けることになる。

 

 

それじゃあいつか、、疲れ果ててしまうし、

 

 

いつまでたっても、穏やかな気持ちには

 

 

なれません。

 

 

その人がその人らしく生きるのが、

 

 

心を、穏やかにして生きていくのに

 

 

欠かせないことだと思います。

 

 

穏やかな心を、

 

 

手にしたい、ですね。

 

 

どうすれば、いいでしょう。

 

 

 

  他人を見ないで、自分を見てあげる。

 

 

 

このままでいいと、思えていないのは、

 

 

 

自分が今の自分を、認めていないからではないですか?

 

 

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 認めてくれない相手のことを

 

 

やっぱり好きにはなれないものです。

 

 

ということは、

 

 

自分のことを、好きではないのです、心のどこかで。

 

 

 

自分を好きになれないまんま、

 

 

なにか行動ばかりしたところで、

 

 

満たされることはないですね。

 

 

なにを、求めていますか?

 

 

なにかしなくちゃ、というのは

 

 

誰かに、その他の人たちに、

 

 

認められたいからではないですか?

 

 

なにかを成し遂げなくちゃ、というのは、

 

 

まわりの人から、、すごい人だ、と

 

 

ほめてもらいたいからではないですか?

 

 

そうやってる自分のことを

 

 

あなたは自分で愛せてますか?

 

 

この世界は正直で、

 

 

自分の心、そのまんまが、映し出されているのですね。

 

 

認めてないから、認められない。

 

 

愛してないから、愛されない。

 

 

足らないと思うから、ずっと足らない。

 

 

ものすごく、シンプルです。

 

 

私はこのままでいい、、、そう思うと、

 

 

ずっと、このままで、しあわせです。

 

 

それは、開き直りでも、投げやりな諦めでもなく、

 

 

素直に

 

 

自分のことを好きだ、と思える気持ちです。

 

 

そうすると、

 

 

心はとても、穏やかになれます。

 

 

静かな、あたたかな、しあわせですね。

 

                 

 

「自分と生きる 今を生きる」

なりつか なおみ

 

 

 

 

未来を描くことよりも

「大きくなったらなんになりたい?」

 

そんな質問が子供の頃から苦手でした。

 

これはかなり昔、幼稚園のころからなんです。

 

幼稚園の先生にそうたずねられ、

 

みんなが口々に パイロット! お花屋さん! パン屋さん!なんて答えている中で、

 

私は…  とても困った気持ちになったのを覚えています。

 

そんなこと聞かれてもわからない、

 

今わかってることなんて、ほんの少しなんだもの、、、

 

これは、成長してからもあまり変わりませんでした。

 

なにかの仕事につくことを、夢と呼ぶのだろうか?

 

そんな素朴な疑問です。

 

今、こうして生きている自分を幸せな気持ちにするにはどうしたらいいか?で精いっぱいで、

 

未来のことを描くのは、

 

しかもどんな仕事をしているのかを決めるなんて、

 

ちょっと難しい気がしていたのです。

 

この思いを、私はだいぶ引きずっていました。

 

中学の時の作文の課題に、

 

「夢」というのが与えられたときも、

 

書けずに困り果てたのでした。

 

私はいつも、なにかの仕事についてる自分を夢見たことがなく、

 

思い描くのは、「しあわせ」を感じながら生きている自分の姿でした。

 

その「しあわせ」ってなんだろう…

 

このことについて、

 

もう中学生のときには、真面目に考えていたので、

 

そのときの私の答えを、当時の日記に書きつけています。

 

あるとき偶然見返して、

 

なるほどなと、思ったのでした。

 

そこには、自分の全存在・全能力を活かしてやるべきことは、

 

家庭を築いていくことだと、

 

書いていたのです。

 

お金を儲けることや、

 

何がしかの役目を背負って社会に貢献することは、

 

その次に為すべきことで、

 

人間として生まれて、

 

なによりも大切なのは、

 

家庭を築いて、次の世代を生きる人間を育てることだと、、、、、

 

中学のときの私は、結論づけていました。

 

仕事を選ぶことは、このときに放棄しています。

 

いくら考えても、それについては結論に達しなかったのです。

 

そういうものは、巡り巡って、目の前にくるものなのだから、

 

それを受けとるだけだと、

 

そのように思っていました。

 

けれど、実際に大学を卒業するときには、

 

そうはいきませんね。

 

どんなことをして社会に貢献できるのか?

 

何をもってこの会社の役に立てるのか?

 

どんな能力があり、

 

どんな適性があり、

 

どんな個性を活かそうとしているのか、などが、

 

とにかく、問われるのですね。

 

当然といえば当然ですが、

 

まだ社会経験のない学生が、どこまで自己認知できているのか?

 

ひょっとして人事担当の方は、そんなことは百も承知で、

 

それでもちゃんと自己ピーアールのできる人材を求めていたのでしょうか?

 

職業を決められない自分は、何か落ちこぼれてしまってるようで、

 

どこかでしょんぼりとしながら、

 

でも、結局のところ、答えは、出せなかったです。

 

私は働くことは好きです。

 

直接何かの、誰かの役に立てていることを実感できるからです。

 

アルバイトしていたときも、

 

就職して働いていたときも、

 

手を抜くとか、力を出し惜しみするとかはなくて、

 

夢中で、働いていました。

 

定時があるから、それまでやりくりして、のんびり…なんてことは、

 

とても、できないタイプです。

 

今もそれは、変わらないです。

 

だからこそどんなところでも、、任されることが増え、

 

ありがたい責務を、、いただいてきました。

 

でも、今でも相変わらず

 

「どうなりたい?」と聞かれると

 

やはり困ってしまいます。

 

「しあわせでありたいです」と、答えます。

 

仕事では、明確に答えられない。

 

探したときもあるし、いやむしろ、懸命に探して、

 

これだと思ったこともありましたが、

 

なにかの違和感は拭えなかった…

 

なぜこうなんだろう、と自分に歯がゆい思いもしましたが、

 

どうにもなりません、実際がこうなのですから。

 

でも世の中には、

 

この仕事で生きていきます!と、答えられる人も多勢いて、

 

そんな人たちが精進しながら夢を叶えていく姿を見ると、

 

素敵だなと、正直思います。

 

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今の私は、少し意見が変わりました。

 

未来を描くときに、

 

仕事 = こうなりたい姿、何をやってるか、を描く人もいれば

 

状態 = こうありたい姿、どんな気持ちか、を描く人もいるのだと思います。

 

私がこの、、こうありたい、を、描く人。

 

どんな状態なのか?、をきちんと描くことが、私にとってはそもそも大切なことだったんです。

 

自分が、、どんな状態ならしあわせなのか?

 

では、そうなるためには、どうしたらいいのか?

 

なりたい姿がわかってる人は、この「、どうしたらいいのか」が、

 

 

先に答えとして見えている部分なんですね。

 

どちらの入り口からであっても、

 

思い描けたのなら、そこからどうすればいいか?が

 

わかってきます。

 

どうするのかは、さまざま…

 

それがひょっとすると、絵を描くことかもしれないし、

 

刺繍をすることかもしれないし、

 

山登りをすることなのかもしれない。

 

誰かの洋服を作ることかもしれないし、

 

マーケティングを考えることかもしれない。

 

だから私は未来を描くことよりも、

 

今の自分をどう充実させていくか、を考えています。

 

指針がないといえばないし、

 

自由といえばそうだし、

 

でも、

 

ほんとうに好きなことや得意なこと、

 

心が惹かれてしまうもの、

 

気がつくと夢中になってることって、

 

やっぱり、それらが私の特性ですね。

 

こうなりたいを描く人、

 

こう在りたい姿を描く人、

 

私の場合、後者です。

 

手段は、後から。

 

どちらのやり方を辿っても、

 

誰かのために、何かのために、

 

自分を役立てたいという思いは、

 

同じであると思います。

 

なんだかんだいって、今仕事をしていますが、

 

やらなくちゃいけないからやる、、だけではないです。

 

そこに私らしさとか、

 

何かの得意なことを織り交ぜながら、

 

仕事の時間も私の人生の時間として、

 

大切にしています。

 

嫌だから我慢の時間!なんて簡単に結論付けてしまわずに、

 

そこでどう、私を活かしていくのか?

 

知恵を働かせるのです。

 

ほんとうにダメなら、役に立てるところ、役に立ちたいところを探すまで、ですね。

 

未来を描けなかった私ですが、

 

それでも仕事をしていて、

 

お金をいただいてます。

 

自分の能力を使って、時間を費やして、

 

何かの、誰かの、役にたてているのです。

 

今このときを楽しく生きるのに、

 

こうすればうまくいくんだよ、というのは、ないですね。

 

私の長男が「やりたいことがわからない」と、言ってきたとき、

 

そりゃそうよ、どんな仕事があるのかもわからないのだから、と応じた私は、

 

頼りない親かもしれませんが、

 

未来を描けなかったからこそ、

 

考えて悩んで、

 

今を充実させてこられたのだと、

 

思っています。

 

 

 

 

 

 

 

見てきた景色に自信をもつ

どれだけ辛かった時があっても

 

 

どれだけ暗かった時があっても

 

 

今、こうして生きている自分に

 

 

もっと堂々と、自信をもったらいい。

 

 

今なお辛くて

 

 

今も暗くて

 

 

こんな自分はやっぱりダメだなんて、

 

 

いつまでも否定したまんま、

 

 

他人の承認を待つのですか?

 

 

誰かが承認してくれたら、

 

 

辛かった過去も、、暗い今も、

 

 

終わりがくるのですか?

 

 

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いろんなことがあったとして、

 

 

それでも今生きてることを

 

 

すごい!よくやってる!

 

 

そんなふうに心から言えるのは、

 

 

自分です。

 

 

そう言って欲しい相手がいたとしても、

 

 

たとえ言ってくれたとしても、

 

 

自分がそう思えてないうちは、

 

 

きっと何度でも、問いたくなる。

 

 

「こんな私でいいのかな」

 

 

本人がいちばん自分を粗末に扱ってることに、

 

 

気がつかないと、

 

 

どれだけたくさんの人から承認を得ても、

 

 

満足しない。

 

 

あなたが

 

 

生きてきて、

 

 

そうして見てきた景色は、

 

 

他所のなにかとくらべる必要なんてない、

 

 

なにかを達成したとかも関係ない、

 

 

ただ、生きてきた、それだけで

 

 

 

すごいことなのだから。

 

 

そして、自分ひとりで生きてきたわけではないことに、

 

 

思いを馳せられるようになれたら、

 

 

心は

 

 

穏やかになれる。

 

 

誰かに与えてもらうものが、自信ではないよ。

 

 

自分が自分を信じることなのだもの。

 

 

これまで見てきた景色に、

 

 

そこで生きてきた自分に、

 

 

もっと、自信をもとう。

 

 

間違ってた? なら、この先やり直そう。

 

 

なにを間違ってたのか、

 

 

他人の評価を得るためにやることなんて、

 

 

あなたをほんとに満たすことはないのだから。

 

 

心の底から満たされたいなら、

 

 

自分によくよく、問いかけた方がいい。

 

 

「どうありたいの?どうしたいの?」

 

 

あなたを否定し続けているのは、

 

 

いったい誰なのか?

 

 

やることなすことに、いつも口を出してきて、

 

 

いいとか、悪いとか、ためになるとか、何か得られるとか、

 

 

そんなことばっかり、言ってる人。

 

 

欲しいものが得られるんじゃない。

 

 

見合ったものがいただけるだけ。

 

 

自信のなさを、得られるもので埋めようとする行為は、

 

 

やっぱり、終わりがないのだもの。

 

 

愛を得たいと思うのなら、

 

 

自分が自分を愛そう。

 

 

足らない、を埋めようとしても、

 

 

他人や物では

 

 

埋まらない。

 

 

いっとき満たされた感があったとしても、

 

 

すぐにまた、足らない…と、なる。

 

 

足らない足らない、といい続けていると、

 

 

まわりは寄り付かなくなってくる。

 

 

吸い取られるのは嫌だからね。

 

 

自分の根っこに

 

 

ほんとに栄養をあげられるのは、

 

 

親でも、パートナーでも、

 

 

ないよ。

 

 

自分だよ。

 

 

そこができて、ようやく、

 

 

まわりを愛せる人間になれる。

 

 

だから、

 

 

これまでどんなことがあったとしても、

 

 

見てきた景色に

 

 

自信をもとう。

 

 

愛そう。