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自分と生きる 今を生きる

いつでも楽しく生きてみる。 今 ここ 自分

見てきた景色に自信をもつ

どれだけ辛かった時があっても

 

 

どれだけ暗かった時があっても

 

 

今、こうして生きている自分に

 

 

もっと堂々と、自信をもったらいい。

 

 

今なお辛くて

 

 

今も暗くて

 

 

こんな自分はやっぱりダメだなんて、

 

 

いつまでも否定したまんま、

 

 

他人の承認を待つのですか?

 

 

誰かが承認してくれたら、

 

 

辛かった過去も、、暗い今も、

 

 

終わりがくるのですか?

 

 

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いろんなことがあったとして、

 

 

それでも今生きてることを

 

 

すごい!よくやってる!

 

 

そんなふうに心から言えるのは、

 

 

自分です。

 

 

そう言って欲しい相手がいたとしても、

 

 

たとえ言ってくれたとしても、

 

 

自分がそう思えてないうちは、

 

 

きっと何度でも、問いたくなる。

 

 

「こんな私でいいのかな」

 

 

本人がいちばん自分を粗末に扱ってることに、

 

 

気がつかないと、

 

 

どれだけたくさんの人から承認を得ても、

 

 

満足しない。

 

 

あなたが

 

 

生きてきて、

 

 

そうして見てきた景色は、

 

 

他所のなにかとくらべる必要なんてない、

 

 

なにかを達成したとかも関係ない、

 

 

ただ、生きてきた、それだけで

 

 

 

すごいことなのだから。

 

 

そして、自分ひとりで生きてきたわけではないことに、

 

 

思いを馳せられるようになれたら、

 

 

心は

 

 

穏やかになれる。

 

 

誰かに与えてもらうものが、自信ではないよ。

 

 

自分が自分を信じることなのだもの。

 

 

これまで見てきた景色に、

 

 

そこで生きてきた自分に、

 

 

もっと、自信をもとう。

 

 

間違ってた? なら、この先やり直そう。

 

 

なにを間違ってたのか、

 

 

他人の評価を得るためにやることなんて、

 

 

あなたをほんとに満たすことはないのだから。

 

 

心の底から満たされたいなら、

 

 

自分によくよく、問いかけた方がいい。

 

 

「どうありたいの?どうしたいの?」

 

 

あなたを否定し続けているのは、

 

 

いったい誰なのか?

 

 

やることなすことに、いつも口を出してきて、

 

 

いいとか、悪いとか、ためになるとか、何か得られるとか、

 

 

そんなことばっかり、言ってる人。

 

 

欲しいものが得られるんじゃない。

 

 

見合ったものがいただけるだけ。

 

 

自信のなさを、得られるもので埋めようとする行為は、

 

 

やっぱり、終わりがないのだもの。

 

 

愛を得たいと思うのなら、

 

 

自分が自分を愛そう。

 

 

足らない、を埋めようとしても、

 

 

他人や物では

 

 

埋まらない。

 

 

いっとき満たされた感があったとしても、

 

 

すぐにまた、足らない…と、なる。

 

 

足らない足らない、といい続けていると、

 

 

まわりは寄り付かなくなってくる。

 

 

吸い取られるのは嫌だからね。

 

 

自分の根っこに

 

 

ほんとに栄養をあげられるのは、

 

 

親でも、パートナーでも、

 

 

ないよ。

 

 

自分だよ。

 

 

そこができて、ようやく、

 

 

まわりを愛せる人間になれる。

 

 

だから、

 

 

これまでどんなことがあったとしても、

 

 

見てきた景色に

 

 

自信をもとう。

 

 

愛そう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

浮かび上がるまでは、ぐるぐるをやる

悩んでることとか、いつも頭の中で考え続けていることは、

 

 

おんなじこと、だったりします。

 

 

それが、まるで、

 

 

その人の人生のベースであるかのように

 

 

繰り返し、おんなじことに

 

 

頭も心も、占領されている。

 

 

どうすればそこから、浮かび上がれるのか?

 

 

だってもう、悩み続けているのはいやなんだものね。

 

 

早く解決して、楽な気分になりたいのだもの。

 

 

でも

 

 

 

見えてくるまでは、浮かび上がれません。

 

 

おんなじことをやり続けている自分のことが

 

 

見えてくるまで。

 

 

おんなじことが続いているのは、

 

 

抱えている悩みを

 

 

正当化したいからだと思います。

 

 

私がこのことで苦しんでいるのは、

 

 

正しいのだ、

 

 

間違ってないのだ、

 

 

私は悪くないのだ、

 

 

私じゃない、なにかが悪いのだから。

 

 

そのことを証明するため

 

 

考え続けている。

 

 

そうやってぐるぐると、おんなじ思考を繰り返しているのですよね。

 

 

 

自分が変化することなしに

 

 

解決することなんて、ないです。

 

 

なにが変われば、救われますか?

 

 

仕事   お金  人間関係  健康

 

 

 

これらのことだって

 

 

 

自分の心や考え方、

 

 

そして、やってることを変化させずに、

 

 

抱えている苦しみを手放そうなんて

 

 

無理です。

 

 

正当化するためのぐるぐるを、

 

 

 

飽きるほどやって、

 

 

ぜんぜんまわりが変わらないことにようやく気がつけて、

 

 

あぁ、もういい加減にしよう、

 

 

ここから自分で変化を起こそう、

 

 

まわりがどうであれ、私が変わらなければ

 

 

おんなじぐるぐるをやるんじゃないの?

 

 

自分がこうだから

 

 

私のここがこうだから

 

 

おんなじことをやってるんじゃないか!

 

 

 

そう思えたときが、

 

 

見えた、、、ときです。

 

 

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見えるとね、変われます。

 

 

な〜〜んだ、そういうことね!

 

 

そんなふうに、肚に落ちます。

 

 

ぐるぐるをやっていたのが、

 

 

 

ふっと

 

 

 

軽くなるのです。

 

 

手放したから、思い込みを。

 

 

浮かび上がり出すと

 

 

気持ちはどんどん軽くなるし、

 

 

楽しくなるし。

 

 

やめられなくなります。

 

 

悩んでるのがすき、なんていう人もいますが、

 

 

それは、

 

 

 

やっぱり自分をかわいそうにしたくないからだと

 

 

今の私は思います。

 

 

かつての自分が、そうだったからね!

 

 

 

「 私は悪くないの 」

 

 

そこを納得させたがっていたんだと

 

 

頑固な自分を思い出します。

 

 

浮かび上がれるのか?

 

 

飽きるほど、いやんなるほど

 

 

ぐるぐるをやって

 

 

そして、見えれば、

 

 

浮かび上がれるのです。

 

 

 

 

 

 

 

自分を生きるってわからないです

まじめに生きてきたし、

 

 

ずるいことはしてこなかったし、

 

 

がんばってやってきた。

 

 

いつだって一生懸命だった。

 

 

それなのにどうして

 

 

こんなに心がつらいのだろう。

 

 

ワクワクしようとか、自分を生きるとか、

 

 

よくわからない…

 

 

そう、、、嘆いている人が、

 

 

います。

 

 

まわりの明るさに、、、キラキラに、、、

 

 

ついていけなくて苦しんでる人。

 

 

そういう人を、他人事とは思えない。

 

 

ついこないだまで、私も似たようなものだったのだから。

 

 

ワクワクも

 

 

楽しいも

 

 

わからないのは、体験してこなかったから、です。

 

 

だってね、

 

 

体験することを選ばなくなるぐらい

 

 

 

まわりの意見をきくことに

 

 

一生懸命だったのでしょう?

 

 

がんばってきたのは、自分を満たすことではなく、

 

 

まわりを満たすことではなかったですか?

 

 

そりゃあ  わからなくなります。

 

 

自分を生きる、なんてね。

 

 

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そして、、そうやって生きてきて、

 

 

どうなんだろう。

 

 

誰からもだいじにしてもらってない…

 

 

いつもなんだか、我慢してきた気がする…

 

 

それは自分が、自分の気持ちを無視してきたのだもの。

 

 

「私の気持ちなんて放っておいて、

 

 

まわりのためにやらなくちゃ」

 

 

その結果が、今です。

 

 

まわりがあなたをだいじにしてないと思うのは、

 

 

本人が自分を粗末にしてきたから。

 

 

そんな 粗末にされるような存在なのだからと

 

 

自分でそんなふうに行動してきたから。

 

 

 

もう  それはやめよう

 

 

誰よりも自分の意見を聞いて

 

 

何よりも自分の気持ちを考えて

 

 

そして

 

 

心地よさを、取り戻そう。

 

 

心地よさって、自分らしさです。

 

 

クレヨンの中からどの色を選ぶのか

 

 

子供のころ素直に選んでいたでしょう?

 

 

いつから、まわりの思惑を気にするようになったんだろう。

 

 

 

レストランでメニューを選ぶときも、

 

 

みんなと飲んでる時にどんな話をするのかも、

 

 

自分の心に素直になるのじゃなくて、

 

 

まわりの人の気持ちばかり、気にして、、、

 

 

それじゃあいつまでたっても

 

 

本音でつきあえる友達だって、できやしない。

 

 

自分の気持ちがわからなくなってるのなら、

 

 

まわりのことを気にするのを、

 

 

まずはやめることです。

 

 

どこを見てるの?

 

 

自分を見よう

 

 

自分のことがしっかり見えてきたら、

 

 

楽しくなることがわかってくるし、

 

 

するとやる気も元気も出てくる。

 

 

似合う服だってわかるようになるし、

 

 

どんなことが得意なのかもはっきりしてくる。

 

 

生きるのって、楽しいんだ!

 

 

そんな気持ちを思い出せます。

 

 

 

そうしているうちに、自分らしさが

 

 

戻ってくるから。

 

 

 

自分らしくあれば、心地よく生きていられます。

 

 

それが、自分を生きるということ、

 

 

そう思います。

 

 

嘘をついてはいけない

 

 

騙してはいけない

 

 

抑えつけてはいけない

 

 

 

それは、自分に対して、です。

 

 

マナーやルールを破って構わないというのじゃない。

 

 

まずは、自分を見ようよ

 

 

そういうことです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今という時を未来や過去のために使うのはやめよう

過去や未来への思いに、

 

 

私たちは「今」という大事なときを

 

 

奪われてしまってることが、多いです。

 

 

あのときの悔しさを、いつも思い出してしまう…

 

 

こうなったらどうしようって、いつも不安になってしまう…

 

 

1日のうち、どれぐらい過去や未来に思いを巡らせているか、

 

 

自分のことを考えると、、、どうですか?

 

 

あのとき、とても悔しかった…

 

 

言いたいことをちゃんと言えなかっったった…

 

 

そのときに飲み込んだ悔しさと言葉が

 

 

今まさに、頭と心の中で

 

 

ブスブスと音を立てている。

 

 

このままじゃあきっとこうなる…

 

 

あの人はきっとこう思ってるに違いない…

 

 

この子がああなったら困る…

 

 

そんな、今目の前にないことに、

 

 

未来をこうなると決めつけて、

 

 

どれだけ想像を巡らせていることか。

 

 

 

人生ですよ、今この瞬間も。

 

 

もったいなくは、ないですか?

 

 

過去や未来に、今を奪われているとき、

 

 

自分のことは疎かになってます。

 

 

今この瞬間、しあわせに生きることに、

 

 

ちっとも思いが、ない。

 

 

もっと今に集中しませんか?

 

 

もっと自分にわがままさせてあげませんか?

 

 

わがまま、、という表現の方が

 

 

おそらくわかりやすい。

 

 

私たちはいつだって、他人にどう思われるか?に気が持っていかれて、

 

 

自分はどう感じているのか?

 

 

そこが、疎か。

 

 

自分で自分を満たしてあげられなくて、

 

 

他人のために何かできるのか?

 

 

できないです。

 

 

やってるつもりが、

 

 

自分を認めてもらうことに躍起になってるのだけ。

 

 

 

人のためになにかやらないと、

 

 

大人とは言えませんか?

 

 

他人のためと言いながら、

 

 

その他人に必死になって

 

 

「認めて!ほめて!」

 

 

そう、求めてしまってる。

 

 

他人からの承認は

 

 

いくらあったって、足らなくなって、

 

 

もっと認めて!もっとほめて!

 

 

延々と続いてしまいます。

 

 

もう、終わりにしよう。

 

 

今 この瞬間

 

 

 

本気で自分をしあわせにしよう

 

 

 

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花は 明日きれいに咲こうとは、

 

 

思ってないです。

 

 

今 できることを できるだけ やる。

 

 

明日枯れたら困るとも、思ってないです。

 

 

今このとき だけ その繰り返し。

 

 

私はたくさんの時間を

 

 

過去への思いに使いました。

 

 

親とのことも、そうです。

 

 

未来への不安に、潰されそうになっていた時期もあります。

 

 

でも、ぜんぶ

 

 

今の私がしあわせであるためには

 

 

いらないことでした。

 

 

過去や未来や

 

 

他人がどう思うかに、気を持っていかれると、

 

 

自分がなにをして楽しいのか、

 

 

わからなくなっちゃうのですよ。

 

 

今の自分を生きてないと、

 

 

本心がなんなのか

 

 

わからなくなっちゃうのですよ。

 

 

取り戻すのは、時間がかかります。

 

 

今  この瞬間

 

 

自分のしあわせに、本気になる。

 

 

その繰り返しで

 

 

素直に生きられるようになります。

 

 

素直な人は

 

 

他人の心も素直にさせます。

 

 

今 私は 自分に素直に生きているか?

 

 

素直であれば、そう怒ることもないです。

 

 

自分に素直であれば、他人にやさしくできるし、

 

 

自分が我慢しているから、

 

 

他人のすることに注文つけたくて、

 

 

怒ったりするのでしょう?

 

 

どうしてそうなの?! なんて。

 

 

今という時を  今の自分のしあわせのために

 

 

生きよう。

 

 

まずはそこから、です。

 

 

 

 

 

3年後も当たり前があるのか

まったくさぁ〜〜なのよねー

 

なんて、誰かに愚痴ってしまうことがあります。

 

文句言ってる自分

 

よろこんでる自分

 

そのどちらもが、実は「今」を楽しんでる。

 

 明日も、今と同じように、その日がやってきて

 

なんだかんだ、ありながらも、

 

 

そしてまた、次の日がくる。

 

 

 そう、疑いようもなく思っているから。

 

 

なんとなく、やり過ごせる。

 

 

とくに大きな出来事もなければ、

 

 

不満はありながらも、やっていけるから。

 

 

日々の出来事に、その時々で

 

 

感情の移り変わりを眺めながら、

 

 

あるいはどこかで、楽しみながら、

 

 

私たちは、生きています。

 

 

 

それが 「当たり前 」だから…

 

 

 

これが「 日常 」だから…

 

 

 

でも、それはいつか必ず

 

 

終わりが  くる

 

 

 

だったらあのとき、もう少し本気になってればよかった

 

 

こんなんならあのとき、本音をぶつけて

 

 

 

とことん伝えればよかった

 

 

どうなったって

 

 

 

本気で 本心で やったことの方が

 

 

納得できてたのに!

 

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やり過ごすことができるから、

 

 

私たちは見なくても済むこと、

 

 

やらなくても済むことを、

 

 

「いつか」と、先延ばしにする。

 

 

めんどくさいし、、大変だしね。

 

 

そこにエネルギー使うのも疲れちゃうからさ。

 

 

そんな言い訳をして、

 

 

そうやって、、やり過ごすときを重ねて、

 

 

本当に終わりがきたときに、

 

 

どう思う?

 

 

よかったな〜この人生、、、と

 

 

思えるのか?

 

 

本気でリアルにこのことを考えると、

 

 

ゾッとする。

 

 

やだ、、、、わたし。

 

 

それなら今のうちに

 

 

本気で向き合うよ、この人生に。

 

 

ぶつかり合うかもしれないけれど、

 

 

傷つくかもしれないけれど、

 

 

向き合うよ。

 

 

相手のことを信頼して伝えることは、

 

 

その人の心を攻撃することにはならないから。

 

 

相手を信頼するって、その懐に飛び込むようなことだ。

 

 

感情のまま

 

 

 

怒りの心で伝えてしまうと、

 

 

どうしても相手を責めてしまうけれどね。

 

 

私はこう思ってる、こう感じてる、

 

 

そのことを表現するだけなら、

 

 

実は誰も、攻撃してない。

 

 

 

それよりね

 

 

 

この「当たり前」が

 

 

3年後も同じかどうかなんて、

 

 

わからないのだもの。

 

 

終わりなんて、お知らせなしにくるのだもの。

 

 

こんなことを、大切な人を失ったりする前に、

 

 

どこかでちゃんと認識していたい。

 

 

どうにもならない現実になって、

 

 

あぁ、やっぱり〜〜しておけばよかった

 

 

 

 

〜〜と伝えておけばよかった

 

 

 

もっと本気になって、自分の中にあるもの躍動させればよかった、、、

 

 

そんな後悔は、したくないのです。

 

 

だから、向き合う。

 

 

見たくないものに、ほんとのその人の願いが

 

 

隠れてるから。

 

 

「当たり前」は  

 

 

この一瞬だけかもしれないよ。

 

 

次は、どうなってるか、わからないのだもの。

 

 

「ありがとう」

 

 

「ごめんなさい」

 

 

「愛してます」

 

 

せめてこの3っつの言葉だけは、

 

 

伝えたい人にしっかりと伝えたい。

 

 

それこそ、

 

 

当たり前のようで、当たり前がどれだけ幸せなことなのか

 

 

この3っつの言葉で、

 

 

伝えたい。 

 

 

 

 

しなくちゃ、を捨てませんか?

夫とうまくいってないのは

 

 

感謝の気持ちが足らないから。

 

 

自分の母親と仲が悪いのは

 

 

感謝の気持ちが足らないから。

 

 

なんに対しても、感謝の気持ちをもてたのなら

 

 

その人との関係はうまくいくはず。

 

 

でしょう?   と。

 

 

そう言われて、

 

 

はいそうです、と 頷けますか?

 

 

私は頷けません。

 

 

「感謝」という文字に

 

 

私たちは弱いです。

 

 

それには勝てない、なんでもそれで解決されちゃう…

 

 

感謝しなくちゃ だめでしょ

 

 

そんな思想に、縛られてはないですか?

 

 

感謝 しなくちゃ

 

 

その言葉に、、ぎゅうぎゅうに自分を苦しめてる人、

 

 

います。

 

 

でも、正直になってみて。

 

 

言いたいことを我慢して、

 

 

傷ついてる自分を放ったらかしにして

 

 

感謝 なんて  

 

 

できません。

 

 

傷ついたまま、抑えつけたまま、では

 

 

心は感謝という感情を生み出してはくれないです。

 

 

心は正直でしょう?

 

 

話しかけても返事をしてくれない夫、

 

 

まともに顔も合わせてくれない夫に、

 

 

ありがとうと、思えますか?

 

 

子どもの頃からずっと否定され続けて、

 

 

認めてもらえた、愛してもらえた、大事にしてもらえた

 

 

そんな実感のもてない母親に、

 

 

心からのありがとうが言えますか?

 

 

ありがとうを言えない私が悪いんだ

 

 

そうやって、傷ついてる心・言いたいことを我慢してきた心に

 

 

さらに我慢を強いるの?

 

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しなくちゃ、と思っているうちは

 

 

感謝なんてできない。

 

 

しなくちゃいけない、を一度捨ててしまおう

 

 

正直な 気持ちをしっかり感じとる。

 

 

生身の自分をぜんぶ見る。

 

 

ここはいいけど、あそこは見ない、なんてことせずに。

 

 

ぜんぶ見てあげよう。

 

 

あなたが見なくて、

 

 

誰が本気で見てくれるの?

 

 

手をつないでほしかったのに、

 

 

叶わなかったことが、

 

 

どれだけ寂しかったのか…

 

 

作った料理に文句しか言われないことが、

 

 

どれだけ悲しいのか、

 

 

私は悲しかったし、寂しかったし、とても傷ついたんだ

 

 

その気持ちを

 

 

残らず、ぜんぶ!のいきおいで

 

 

解放しよう。

 

 

悲しかった自分を、何も悪くないのだからと、

 

 

抱きしめる。

 

 

そうして、出来るのなら

 

 

相手に伝えてみる。

 

 

そして、その結果相手がどんな反応をしようと、

 

 

そこは、見ない。

 

 

わかってもらうことじゃなく、まずは伝えること。

 

 

わかってもらうには

 

 

いろんな難しさがあるでしょう。

 

 

素直にごめんと言えない性格だったり、

 

 

何を今更と言われたり、

 

 

めんどくさいこと持ち出すなと、相手は怒るかもしれない。

 

 

けれど、

 

 

自分の気持ちを

 

 

押し殺したまんまは、よくない。

 

 

ゆっくり  ゆっくり

 

 

ぎゅうぎゅうになってた心をゆるませて

 

 

休ませてあげよう。

 

 

ぎゅうぎゅうにしめつけていた

 

 

しなくちゃ、という呪縛を

 

 

解いてあげよう。

 

 

私はこんなに悲しかったんだし、

 

傷ついていたんだし、

 

だから怒ってるんだから!

 

 

粗末にしちゃいけないのは、

 

 

自分の心に対して、です。

 

 

しなくちゃ  と思い込まない、

 

 

すると、抑えてた心の声が

 

 

聞こえてくると、思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分を強く信じること

いいとき、悪いとき、って

 

誰にでもあります。

 

 

でも、

 

 

そのいい、悪い、は

 

 

それ、本当にそうなのかな。

 

 

今、悪いと思っていることが、

 

 

かけがえのない人生の宝になることが、

 

 

ありますね。

 

 

だとしたら、

 

 

いいとか悪いとか、決めつけない。

 

 

 

どんなときでも、目を背けることなく

 

 

見据えて、

 

 

生きていく楽しさを、感じることに集中する方が

 

 

いいような気がします。

 

 

 

生きていく楽しさは、

 

 

与えてもらうものではなくて、

 

 

自分で生み出していくものです。

 

 

そんなふうに、本気で考えたこと、

 

 

ありますか?

 

 

頑張ればもらえる

 

 

出会えたらもらえる 

 

 

運が良かったらもらえる

 

 

お行儀よく待ってたら、いつかもらえるもの、、、

 

 

 

そう、思ってなかったですか?

 

 

ぜんぜん、違いますよ。

 

 

自分本人が、生み出していくものです。

  

 

 

楽しさを生み出していく。

 

 

 

ときには安産で

 

 

ときには難産でしょう。

 

 

でも

 

 

自分が納得いったことからでしか、

 

 

生きている充足感は感じられない。

 

 

それは、与えられて感じ取れるものじゃないんです。

 

 

もらえるのを待ってても

 

 

充足感には至らないのです。

 

 

他人に頼るなというのじゃないです。

 

 

頼り頼られながら、みんな支え合って

 

 

助け合って

 

 

思いやりあいながら生きています。

 

 

でも、

 

 

報酬を求めないというか、

 

 

「これください」

 

 

というのは、ないですね。

 

 

これこれをがんばったから、あれください、

 

 

そんなこと…

 

 

もらえません、w。

 

 

自分が作り出していく、生み出していく。

 

 

その、静かな覚悟。

 

 

そこから、

 

 

本当に楽しい人生が始まるのだと思いますよ。

 

 

だからこそ

 

 

 

繰り返し、思い出します。

 

 

生きる楽しさを、誰が与えてくれるのか?

 

 

自分なのです。

 

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自分を信じよう。

 

 

そこを抜かして、

 

 

 

他人の何に、頼るのですか?

 

 

スピリチュアルな霊感も

 

占いも

 

無意味とは思いません。

 

 

でも、最後には

 

 

自分の「よし」という感覚を信じることができないと

 

 

 

ずっと、なにかに頼るばかりになってしまいますよね。

 

 

自分を 信じる

 

間違えてもいいでしょう?

 

修正すればいいのだもの。

 

自分がよしと思ったことを信じよう

 

 

 

そこを抜かして、

 

 

 

他人を信じられますか?

 

 

 

それも、実はできないでしょう。

 

 

あっちこっちが気になって、

 

 

挙句、何が正しいのかがわからなくなる。

 

 

それは、自分のことを信じてないからです。

 

 

納得のいく人生は、自分を信じることなくして

 

 

あり得ないです。

 

 

 

その答えは、誰かからのアドバイスですか?

 

 

それとも

 

 

貴方が自分で決めたことですか?

 

 

正解することだけが、目的ですか?

 

 

それとも、

 

 

生きている…実感が得たいのですか?

 

 

私は、

 

 

「おー!わたし生きてるぞー!」

 

 

そう感じていたいです。