自分と生きる 今を生きる

いつでも楽しく生きてみる。 心がよろこぶことしよう。

やさしい夜を迎えよう

いつまでたっても、自分に否定的

 

いつまでたっても、周りの評価待ち

 

もう、もう、いい加減にしようよ〜〜と思いながら、そこから変化することができなくて

 

今もずっと、の立ち位置

 

「この私でいいの?」「これで間違っていない?」

 

周りの承認なしには、生きられないんだろうか

とさえ思う

 

承認を、求め過ぎる、そう認識するだけでも変われるか?

 

そこはなんとも言えない。

 

自分の中の強い思い無くて、変化することは難しいと思うから

 

「強い思い」

 

それはそのまま、自分に対する愛情だよね

 

どこまで、、大切に思うのか

どこまで、、が、普通と思うのか

どんな扱いを受ける自分が、当たり前なの?

 

嫌われて当然?

疎んじられて当然?

粗末にされて当然?

無視されて当然?

 

あぁもう、自分のことどう思っているのかが、そのまんま、反映されているのだから

 

どうしてもっと、、大切にしないんだろう

どうしてもっと、、大事に扱わないんだろう

 

世界から扱われることは、すべて

自分が自分にしていること

 

 

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日々、自分を愛していくことは

かんたんなようで

とても、難しい

 

なにを大切に?なにを大事に?

よくよく、考えてみよう

 

夜はやさし

 

すべてを許してくれる、そんな気持ちになれるから、、、

不器用 繊細 周りへの配慮という余計な気配り

私の特徴って なんだろう…

 

と、考えたところの、タイトルになった。

 

 

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かわいそうなくらい、不器用w

 

え?どんな不器用?

 

そのコメント、ここでは要らないし、、、とツッコマれるようなことをする。

 

そこまで馴れ馴れしい?   あるいは

いつまでも丁寧すぎる、、、みたいな、そぐわない付き合い方。

 

笑いすぎたり、ふざけすぎたり、黙りすぎたり、、、

 

何でわたし、こんなんだろう…

 

 

いつもいつも、、自分の評価を他人に預けっぱなしだったからじゃないかな

 

自分で自分を、ちっとも認めてなくて、

だからまったく自信がなくて

 

いつも、周りの顔色や感情に振り回されて、

それらを気にし続けて

 

挙句、支離滅裂な、八方美人。

 

この時点ですでに、自分を否定しまくっていることに、苦笑い。

 

 

 

 

自分のことを丁寧に 大切に

やっぱりむずかしい

 

「自分を大切に」というお題

 

人間関係の中で、どこまで、どんなふうに本音を伝えていいのか

どこまで、どんなふうに、気持ちのままに振舞っていいのか

 

私はそもそもが、ものすごく空気を読んでしまう。

そうやって、空気を読むことで、その場の対応を選んで、この身を守ってきた…つもり。

 

それが本当は自分を守ることには繋がっていなかったことに、今になって気がついてしまった。

 

でも、習性でどうしても周りの人たちの気分を読み取ろうとしてしまう。

 

そして、それに応じた対応をとろうとしてしまう。

 

まったくもう…嫌になる、いい加減、空気を読み取るな!と思う。

 

じゃぁ、もっと自分を大切にするには

 

具体的にどうすればいいんだろう?

 

やりたくないことをやめる、

やりたいことをやる、

バカにされることに我慢しないと決める、

粗末にされることに許さないと決める、

 

先ずはこんなことなのかな

 

 

 

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明日また

今日が終わると、

明日からは、違う年号になる。

 

区切り、節目、年末、年始、抱負…

 

どうであろうと、自分の着地点は見据えていたい。

 

今日も、、明日も、、明後日も

 

自分のために、周りのために、

 

ひとつずつの、歩みを、このままずっと

 

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そう、、願います。

自分のための 一杯

天気がいい

 

何かやらなきゃ、みたいな感じになるが

 

何も、やらなきゃいけないことはない

 

ゆっくり じっくり

 

何をしてもいい

 

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自分のために淹れるコーヒー

 

味わっていただこう

ちゃんとしないと?

言われたことは、ちゃんとできなくてはならない。

 

言われたことは、ちゃんとやるべき。

 

その年齢なら、ちゃんとこうあるべき。

 

その立場なら、ちゃんととこうすべき。

 

 

そんなことが、たくさんたくさん

 

ありすぎる。

 

できない自分を認めたくない、優秀と言われてきた人たちほど、

 

「ちゃんと」の呪いにかかりやすい。

 

呪いと書いたのは、

 

自分で、自分を、こうでなくちゃゆるさない!と縛っているから。

 

できても、できなくても

 

どっちてもいいし。

 

あなたが優秀かどうかなんて、

 

他人にとってさほど大きな事柄じゃないから。

 

 

それなのに、気になって仕方ないのは、

 

「ちゃんとしなくちゃ」「できなくちゃ」

 

という、、、、呪いにがんじがらめにやってるからだ。

 

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もっと自由でいいし

 

ものすごく世界は広いし

 

そして、楽しいんだから…

 

 

 

自分で自分を苦しめてることに

 

いいかげん早く、気がついたらいいのにな

 

 

なんて。そう思う年の暮れ、、です。

 

 

 

もっと

15年前のあの娘にあいたい

3人の子供

 

ということが、どれだけ私の喜びか…

 

1人でも2人でも、同じように、喜びだと思う。

 

子供がいない人が不幸というのではなくて

 

私がたまたま、子供がいる家庭を望んでいて

 

そして

 

3人の子供の、母になれた

 

そんな素朴な喜びだ。

 

私は、ずっと「家庭」にこだわって生きてきたから…

 

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「家庭」という環境が、その人の心にどれだけ影響を与えるのか、を、思うと

 

私は

 

母親としての自分を

 

ものすごくだいじに思っていた。

 

お金がなくても、地位なんてなくても、

 

その、家庭の中で、

 

自分が愛され、承認され、大切にされ、

 

それだけで、いい。

 

自分が愛され、承認され、大切にされている、

 

その、実感が何よりのもの。

 

でないと、生きていく人格の根っこが違うから。

 

私は本気で

 

そう思う。

 

今日は、3人目の子供であり、長女である娘の

 

誕生日。

 

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愛おしい…

 

それだけ。

 

この子がお腹に宿ってからずっと、私は彼女に話しかけ続けていた。

 

ママは、あなたが、大好きだよ…

 

なぜかはわからないけど、女の子という確信があった。

 

その娘は今、母と2人の生活の中で

 

最大限に

 

自分を表現しているように

 

私からは見える。

 

私たち母子の結びつきは、どうしたって強い。

 

いろんなことを、

 

ふたりで、

 

過ごしてきたんだから。

 

彼女は、いろんな話を私にする。

 

共感を求めて…

 

わたしも娘に、素直に問いかける。

 

「これって、どうかな?」

 

「こんなだけど、どう思う?」

 

すべてをさらけ出してるとは思わないけれど

 

彼女の心の、支えとか、重しとか、

 

なんか、

 

そんなものになれていたらいいな。

 

15年前のあの娘は

 

ぴかぴかに輝いて、

 

私の中から生まれてきた。

 

感動以外の、なにものでもなかった。

 

うれしくてうれしくて、

 

それだけだった…。

 

生まれてきたんだから、楽しんで生きていってね!

 

私から娘に伝えたいことは、、これ。