自分と生きる 今を生きる

いつでも楽しく生きてみる。 心がよろこぶことしよう。

3年後も当たり前があるのか

まったくさぁ〜〜なのよねー

 

なんて、誰かに愚痴ってしまうことがあります。

 

文句言ってる自分

 

よろこんでる自分

 

そのどちらもが、実は「今」を楽しんでる。

 

 明日も、今と同じように、その日がやってきて

 

なんだかんだ、ありながらも、

 

 

そしてまた、次の日がくる。

 

 

 そう、疑いようもなく思っているから。

 

 

なんとなく、やり過ごせる。

 

 

とくに大きな出来事もなければ、

 

 

不満はありながらも、やっていけるから。

 

 

日々の出来事に、その時々で

 

 

感情の移り変わりを眺めながら、

 

 

あるいはどこかで、楽しみながら、

 

 

私たちは、生きています。

 

 

 

それが 「当たり前 」だから…

 

 

 

これが「 日常 」だから…

 

 

 

でも、それはいつか必ず

 

 

終わりが  くる

 

 

 

だったらあのとき、もう少し本気になってればよかった

 

 

こんなんならあのとき、本音をぶつけて

 

 

 

とことん伝えればよかった

 

 

どうなったって

 

 

 

本気で 本心で やったことの方が

 

 

納得できてたのに!

 

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やり過ごすことができるから、

 

 

私たちは見なくても済むこと、

 

 

やらなくても済むことを、

 

 

「いつか」と、先延ばしにする。

 

 

めんどくさいし、、大変だしね。

 

 

そこにエネルギー使うのも疲れちゃうからさ。

 

 

そんな言い訳をして、

 

 

そうやって、、やり過ごすときを重ねて、

 

 

本当に終わりがきたときに、

 

 

どう思う?

 

 

よかったな〜この人生、、、と

 

 

思えるのか?

 

 

本気でリアルにこのことを考えると、

 

 

ゾッとする。

 

 

やだ、、、、わたし。

 

 

それなら今のうちに

 

 

本気で向き合うよ、この人生に。

 

 

ぶつかり合うかもしれないけれど、

 

 

傷つくかもしれないけれど、

 

 

向き合うよ。

 

 

相手のことを信頼して伝えることは、

 

 

その人の心を攻撃することにはならないから。

 

 

相手を信頼するって、その懐に飛び込むようなことだ。

 

 

感情のまま

 

 

 

怒りの心で伝えてしまうと、

 

 

どうしても相手を責めてしまうけれどね。

 

 

私はこう思ってる、こう感じてる、

 

 

そのことを表現するだけなら、

 

 

実は誰も、攻撃してない。

 

 

 

それよりね

 

 

 

この「当たり前」が

 

 

3年後も同じかどうかなんて、

 

 

わからないのだもの。

 

 

終わりなんて、お知らせなしにくるのだもの。

 

 

こんなことを、大切な人を失ったりする前に、

 

 

どこかでちゃんと認識していたい。

 

 

どうにもならない現実になって、

 

 

あぁ、やっぱり〜〜しておけばよかった

 

 

 

 

〜〜と伝えておけばよかった

 

 

 

もっと本気になって、自分の中にあるもの躍動させればよかった、、、

 

 

そんな後悔は、したくないのです。

 

 

だから、向き合う。

 

 

見たくないものに、ほんとのその人の願いが

 

 

隠れてるから。

 

 

「当たり前」は  

 

 

この一瞬だけかもしれないよ。

 

 

次は、どうなってるか、わからないのだもの。

 

 

「ありがとう」

 

 

「ごめんなさい」

 

 

「愛してます」

 

 

せめてこの3っつの言葉だけは、

 

 

伝えたい人にしっかりと伝えたい。

 

 

それこそ、

 

 

当たり前のようで、当たり前がどれだけ幸せなことなのか

 

 

この3っつの言葉で、

 

 

伝えたい。